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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月18日の記事を紹介します。
「小欲知足」
今日のお話は「小欲知足」ということで、
九州のお寺さんのお話をご紹介します。
これから始まる新しい世の中、
そしてそこまで行くまでの間の、変化の波の中で、
一番大切な心かもしれません。
「小欲知足」とは、欲が少なく、わずかなもので満足すること。
そんな意味です。
一番大切なことは、
幸せや満たされた日々の暮らしが
当たり前のことではないと言うことです。
<転載開始> 転載元
不平というのは不足の心から生まれます。
不足の心を持つと心が貧乏になっていきます。
「あれもない、これもない」
「ああしてもらいたかった、こうしてもらいたかった」と。
「小欲知足」という言葉があります。
小さな欲で足りていることを知ったら、
私たちは毎日楽しく生きられると思います。
「あれもない、これもない」と思って生きるのと、
「これだけあれば充分。これだけあればいいじゃないか」と思って生きるのとは、
どちらが楽しい人生か、容易に想像がつくでしょう。
昨年、茨城県に住んでいるTさんという31歳の男性から、
「お寺で1日修行をさせてほしい」と電話が掛かってきました。
私の寺は九州ですから、いつもだったら「わざわざ九州まで来なくても、
お近くのお寺で修行をしたらどうですか」と言っていたと思います。
でもなぜかその時は、「いいですよ。いらっしゃい」と言ってしまったんですね。
よほど居心地が良かったのか、
Tさんは1カ月間も修行されていかれました。
そして朝から晩まで働く中でこんな話をしてくれました。
Tさんは以前、100日かけてお遍路を回ったことがあったそうです。
その道中で、会った人たちから、
おまんじゅうや果物、おにぎりをよくもらうようになりました。
宿がなくて困っている時に、「よかったらうちに泊まってください」と言ってもらえたり、
お風呂を貸してもらえたり、本当にありがたいことをたくさんしてもらったそうです。
ある日、Tさんが寺を訪れるとすでに閉門していました。
これではお参りができません。仕方ないので明日の朝一番にお参りしようと思い、
Tさんはそのお寺の軒下に寝袋を広げました。
しばらくするとその寺のご住職が出てこられて、彼に向かってこう言いました。
「いい若者がこんなところで何をしているんだ!
おまえたちのような若者がいるから日本はちっともよくならないんだ。
人の情にすがらずに生きていけ!」
叱られてTさんはそこを立ち退きました。悔しくて涙が出てきました。
「何もあんなに言わなくても」と思ったそうです。
でも彼はふと立ち止まって考え直しました。
「あれはお不動様が教えてくださったのではないか」と。
自分は人の親切がいつの間にか当たり前になっていた。
人から物をもらう時、初めは「ありがたい、ありがたい」と思っていた。
でもいつの間にか、もらえないと「どうしてくれないのか」と思うようになった。
宿に泊めさせてもらえる時も、最初はとても嬉しかった。
でもいつの間にか、寝袋で寝なくてはいけない日は、
「どうして今日は野宿なのだろう」と不足の気持ちが出るようになった。
門が閉まっていると、「もうちょっと開けてくれてたらよかったのに」と思うようになった。
そんな私の不平の心を、お不動様がご住職の口を借りて教えてくれたのではないか。
Tさんは次の日の朝、そのお寺にお参りし、
ご住職に「ありがとうございました」とお礼を言って帰られたそうです。
何か自分に嫌な事を言う人がいたら、
「あぁ、言ってくれてありがとうございます」と思える自分でありたいものですね。
<転載終了>
私たちは、日々の暮らしの中で
・家族がいてくれること
・暮らしを支える仕事があること
・病気でないこと
・目が見えること、音が聞こえること、食べることができること、歩けること
このようなことが当たり前のことと、思いがちです。
ですが病気をしたり、失業したり、家族を失った時、
その当たり前だった暮らしが、
どんなに奇跡の連続で保たれ、有難いことであったかを思い知らされます。
日々の何気ない暮らしは、有難いこと・・その連続で保たれています。
それをしてくださっているのは、私たちの内に居らっしゃる神さまです。
日々の暮らしの中で、小さな小さな「幸せ」探しをしてみませんか?
小さな幸せは、あちこちに沢山あります。
そしてそれに気付けたら、感謝の気持ちが自然に起こってきます。
その感謝の気持ちこそが、私たちが幸せになるための一番大きな秘訣です。