光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.800+30+132
西洋の敗北、マネーの敗北
二千二十五年の四月二日に発表された、トランプ大統領の関税政策によって、世界経済は、千九百二十九年に到った道を思い起こす方向にシフトしはじめました。これが、精神界が、いまのアメリカ人に投げかけた問いに対する普通のアメリカ人の回答ということです。
アメリカは誰のものか、という問いに、とりあえず、古き良きアメリカがあったのは、大恐慌の前までだったというのが、ひとつの回答ということです。
千九百二十九年に到る道の前には、FRBが生まれ、それまでなかった所得税というものが導入され、アメリカは、金融資本家たちが民主主義のシステムをマネーの力でコントロールして、支配力を高めていったという事実があります。
アメリカ合衆国は、その出発点の時から、マネーと戦争というものと深く関係しており、アメリカが戦争を止めることのできない理由は、その建国神話にも含まれているということです。
そのアメリカは、ヨーロッパ、つまり、キリスト教圏の中のプロテスタントの考え方から生まれた精神文化の国だと、長い間、日本人は信じてきました。WASP、つまり、ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントというのが、敗戦後の日本人に植え込まれたアメリカの支配層のイメージだったのです。
それが、ベトナム戦争の反戦運動に代表される、反体制運動の台頭で、伝統的なアメリカ文化は、若者によって否定され、アメリカのエスタブリッシュメントは、ワスプではなく、高等教育を受けたヨーロッパからのユダヤ系移民に変わっていきました。
これを後押ししたのは、アメリカに多い福音派のキリスト教徒で、彼らは、イエスがエルサレムへ再臨することを望んでおり、その意味で、ユダヤ教徒のエルサレム帰還も支持してきたのです。
聖書の世界では、ユダヤの民とキリスト教徒は敵対関係にあるのですが、それが、新世界のアメリカでは、ある種の連帯感をキリスト教徒の側が持つようになったのです。
実はこれを演出したのが、福音派の宗教家だけでなく、金融資本家のグループが握ったマスメディアと選挙の資金を必要とした政治家だったというのも、アメリカの近現代史を学んだ人間なら、誰でも知っていることです。
アメリカ人にとって、愛する国であるはずのアメリカ合衆国は、いまの支配層のグループに、マネーで買われてしまった国なのです。
それを、取り戻すために、そのことに気付いたアメリカ国民が選んだのがトランプ大統領であり、その関税政策を、世界のエコノミストが、どれだけ批判をしようと、この一度、投げられた賽はもとに戻ることはありません。
もう、賽は投げられたのです。アメリカは、江戸時代の日本のような一種の鎖国に向うことになります。それは、アメリカ人の気持ちであり、気分です。
経済を左右するのは、マネーというものではなく、人間の気という一種の精神的エネルギーだということを、数字上のマネーの信奉者はまだ、気付いていませんが、やがて、日本文化の中にその回答を見付けることになるはずです。その時に、いまのマネーを作り出している根拠が揺らぐことになります。
聖書のテーマは、イエスの神たる存在が、エルサレムの神殿の前で、ペーパーマネーの祖となる木片を、「これが神の通貨です」と主張して本物の金銀と交換していた人間グループの行動を否定し、結果として、十字架上で殺されたという、通貨発行権の問題なのです。
キリスト教会、キリスト者は、これまで、この問題を直視することなく、二千年の年を費やして、大量の血を流して、マネーを求め続ける支配者たちの歴史を偽りの言葉で、援護し続けてきたのではないですか。
それによって、西洋は敗北することになったのです。そして、西洋の敗北こそ、マネーの敗北ということです。実は、これが日本が戦い続けてきた相手だったのです。
神紀五年(二千二十五年)四月十七日 積哲夫 記