光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+140 二千二十五年の秘密

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光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+140
二千二十五年の秘密
この世界の大峠は、神の問題というより、マネーの問題であることが、多くの人間の前で明らかになりつつあります。アメリカというドルの帝国は、良くも悪くも、資本主義というものの本質を、この世に示していますが、その先にあるのは、マネーを崇めるものとしてこの世の栄華を求める人間になるのか、それとも、自分のたましいを、売り渡さないものとして、天に引き上げられるのか、という二者択一の問題となります。

いま生きているほとんどの人間は、「今だけ、金だけ、自分だけ」という価値観を信じるよう、子供の頃から洗脳され、今だけのために生き、金だけのために働き、自分だけのために時間も富も消費しています。そこに、霊性というか、精神面での進化はありません。さらにいうなら、現在、働かなければならない人間は、すでに、被支配階級に属するものでしかありません。一握りの所有者と、大多数の持たざるものたちに分けられた、人間世界の中で、日本列島と日本人は、特別な時空を提供しているということに、いまだに、ほとんどの人間は気付いていませんが、日本では、天皇ですら、所有者ではなく、神々と人々のためにハタラクものなのです。
これが、日本文明というものです。
一神教の文明で、なぜ、これほどまでにマネーのパワーが強大になったのかを、よく観察してみてください。ひとつの文明が、成功し強大化していくために必要なのは、武力です。しかし、その武力を整えるためには、莫大なマネーを必要とします。そして、その結果として、マネーの供給者は、人間界の支配層をコントロールできる力を手にすることになるのです。このシステムの完成に、西洋文明は、三千五百年という時を費やしました。その時間の内側にいたのでは、その正体は見えませんが、その時が終わってみれば、誰にでも分る簡単な仕組みだったのです。それが、旧約聖書の秘密というものです。
モーゼ五書と呼ばれる、旧約聖書は、自らを「わたしは妬むものである」と宣言している神と、選ばれた民の契約の物語です。その民は、選ばれたのであって、神の子として認定されている訳ではありません。さらに、その神が選ばれていないその他の民族をどのように扱ったかについても、聖書は記述しています。

つまり、選ばれた民は、その他の民の命も財産も奪ってもよし、とするのが、旧約の神、ユダヤ教の神なのです。
ここで、モーゼの出エジプトの時に、その神は、あらゆる手段を講じて、エジプトの富を盗み持ち出すことを命じます。そのユダヤ人たちを追ったエジプトのファラオとその軍は、紅海に沈むことになるのですが、なぜ、このような物語が聖書に記されているのかを、ほとんどの人間は考えることすらしません。それは、その神がそれほどまでに恐ろしい存在であるからです。選ばれた民といえど、その民にある恐怖心こそが、その神の支配力の源泉だったということです。
この神の特性は、いま、多くの人間が崇めているマネーというものの力の源泉と同じものです。結論をいってしまうと、モーゼの神とは、いまのマネーの力を生み出す何かを持っていたものということになります。
ここに過去三千五百年の歴史の秘密があるということです。
この一神教の三千五百年の歴史は、もともと神のものであったマネーを、その無から有を生み出す仕組みを盗んだものたちが、神の名さえも奪って、何をしてきたかの精神界にあった物語の再現の場だったということです。その秘密を知っているのが、モーゼで、いまのこの世の富が、ある所に集中して、何を目指しているのかというと、モーゼの出エジプトの物語の完成ということです。それは、その物語を信じるものにとっては、神聖な事業なのです。そして、それを信じて行動している人間も、数多くいるというのが、この世界の真実です。
モーゼは約束の地に入れずに死にました。いまの世界にいる無数のモーゼに従う民は、この世の富を集めて、この出エジプトを完成させようとしていると考えれば、いまの時代の正体が見えてくるはずです。
イスラエルとアメリカの関係の背後に、このマネーの秘密が見えています。
しかし、それが正しいものではないために、モーゼが復活して、その情報開示をはじめたということなのです。この二千二十五年は、日本の大峠というだけでなく、世界にとっても大峠であるという理由がここにあります。
すでに、その日、その時がはじまっています。マネーの仕組みの先に、崩壊という文字が見えている人間は、いまこそ覚醒すべき時なのです。
神紀五年(二千二十五年)六月十二日 積哲夫 記