光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.800+30+163
ポストバイブル
二千二十六年から、この人間世界は、聖書の時代の次、つまり、ポストバイブルの時代に入ることになります。
バイブルの時代とは、ローマ帝国でキリスト教が国教となり、キリスト教文明圏の国々が世界を支配し、アメリカが約束の地として、キリスト教徒の移民によって、覇権国となっている現在までを示しています。そのバイブルの時代が、日本で二千二十五年に起きたモーゼの復活と、四国の剣山に隠されていたアークの秘密の開示で終わったのです。そこで明らかになったのは、バイブルが、ここまで人間の歴史に大きな影響を与えた、本当の理由が、実は、神の問題というより、マネーの問題だったということです。このマネーの問題を解決しない限り、文明は、また滅びの物語をくり返すというテーマが、この物語宇宙には与えられていたのです。それは、この宇宙の歴史の中で、ある時から、マネーは神のもの、光の側のものから、神を騙るもののもの、闇の側のもの、として戦いの目的のひとつになってきたからです。人間の意識も、これに呼応して、マネーを握るものが、この世の支配者として人間界に君臨することを許してきました。
このマネーのパワーを、本質的に否定するものが、一神教なのですが、現実の歴史は、そうなりませんでした。
精神界のデータでは、イエスは旧約聖書で約束されたユダヤの民のメシアとして地上に生まれたのですが、当時のエルサレムにいたユダヤ人の多くの意志で、十字架上のものとなりました。その後のキリスト教文明圏では、この事象によって、ユダヤの民は金融業などに、その職業が限られるという歴史を歩むことになります。
イエスは、「カエサルのものはカエサルに」という言葉を残しています。それは、ローマのマネーはローマのものという意味で、ローマのマネーは神のものとは認識していなかったことを示しています。しかし、エルサレムの神殿前の両替商たちは否定されるのです。なぜなら、彼らは神のマネーを扱うものだったからです。少なくとも、イエスの神は、それを許さなかったということです。
これが、イエスのマネーの物語です。そのはるか前には、モーゼが出エジプトの時に、多くのエジプトの富を、ほとんど盗むようにして持ち出すことを、その神は命じています。
このイエスの神とモーゼの神は、同じ神なのでしょうか。
精神界にあるデータでは、同じ神ということになっています。
それらの事情を知っているのは、この二千二十五年にアメリカから、日本に帰ってこられた金神と呼ばれる、クニトコタチノ大神です。
日本列島の主宰神とされるクニトコタチノ大神は、実は、金神の名の通り、マネーの秘密を知っている神格であったということです。そして、この神格が、実は一神教の歴史の背後にもいたということを表に出すことが、明治維新前後から続いてきた日本の宗教的ムーブメントで、そこで約束された、世の中を生み出すための立て替え、立て直しの本番が、このポストバイブルの二千二十六年からはじまることになります。
この情報の意味するところは世界経済の中心が、バイブルの国のアメリカから、立て替え、立て直しが成功した後の日本列島へ移るということにほかなりません。
いまの日本、日本人にその用意も能力もありませんが、今回の大峠を越えて、立て替え、立て直しが成功すれば、日本は、その名の通り日の本として、世界に光を送るものとなるはずです。これらのことを、一連のプログラムとして用意したものが日本神界で、「日本の仕組み」と私がくり返し、この光文書で伝えてきた情報の正体です。
光文書が千回で終了することも、このプログラムの一部であったことが、これから証明されることになるはずです。
神紀五年(二千二十五年)十一月二十日 積哲夫 記
