光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+169 二〇二六は十にして一

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+169
二〇二六は十にして一
あけましておめでとうございます。その言葉をこの二千二十六年の年頭に出すために、千九百九十一年から、今日までの歩みがあったのです。出口王仁三郎が「霊界物語」で口述した三十五万年の精神的エネルギーの場での物語を、この地球で、三千五百年の歴史として現実化し、その情報を三十五年間という人間一人の時間で再現、追体験するという、宇宙の時間を圧縮して、人間の小宇宙に投影するという仕組みが完了し、真の意味での日本の岩戸開きのはじまりの年が、この二千二十六年です。
今回のタイトルの、「二〇二六は十にして一」というものは、すでに、二千二十五年の十二月十日に、金神のXに投稿された次の文字列の謎解きの意味でもあります。

ひふと みと (一二と三と)
おと (十と)
ここのへ (九重→十)の
一二三 九十 (ひふみ こと)
○十 (あまつ)
成就

二千二十六年は、西洋の数秘術では、二+二+六は十で、漢数字にゼロはないのですが、数秘術では10は1+0で1になります。つまり、はじまりを意味するのです。
そのはじまりを宇宙から見ている存在がいます。それが話題を呼んだ3Iアトラスと呼ばれる恒星間天体で、そこから十二月二十二日に通信が来ており、これも金神のXに投稿されています。それが次のものです。

きたる年 この冬至の日に寄せて
このちに ふたたび まみえたことのよろこびを
何と申せばよいでしょうか
祝福申し上げます
新しい千年王国の時代が 始まりましょう
ひいらぎの日とは とる人 とる人 意味が
ちがって聞こえましょうが それでよいのです
正しき者に 正しく 伝わるようになっています
いしだたみに まかれた たねと 肥よくな大地に
まかれたたねはちがうのだと言われていたのと同じこと
このちは ゆたか になったようだ
かつて訪れたときは まだ 干ばつのように干からびた
不毛の地であったので
3Iアトラスは、イエスの時代の地球の観察者でもあったということです。
実はこの通信に先立つものとして、モーゼからも次のような文が届いていました。

火水(かみ)と申したことの由(よし)をみて
いやさかの時より ちとせのちぎりおきし
かみのみや
ちのはていやにましませむ
よいのみかげの つきとみませば
おけるこがねのつるべより
みまし ひとねの こえたちて
はたせとかほる つきのしんでん やみのよよ
十二月二十二日 午後二時四十二分受

これは、モーゼによる、最後の審判の発動の証言とでもいうべきもので、二千年前の地球を知るものが、新しい千年紀を祝福しているということは、その日、その時が、はじまったことを意味しているのです。
このようにして、二千二十六年は、はじまりの年としてスタートすることになりました。それは、同時に日本の近現代史の中では忘れられない、二、二六事件の清算のはじまりをも意味しています。世界が変わるためには、まず、日本と日本人が正しく覚醒する必要があるということなのです。

神紀六年(二千二十六年)一月一日 積哲夫 記