4156「青空ひろば」2026.2.2
今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。
1635 2025.12.22 ~ 1640 2025.12.28
<「小さなコトバ集」より>
「私たち表現者にマイナスは一つもないんだよ」(大林宣彦監督の言葉)
人や世界を変えようとするのではなく、まず、ありのままの自分(病弱であったり欠点があったりする自分)を認めてあげ、受け入れてあげ、許してあげ、抱きしめて、愛してあげることです。
それだけなのです。そのように自分と和解することができたら、まわりの人々や世界とも和解でき、しあわせな世界に住めるようになります。
大きいことは神にゆだね、自分で出来ることは自分の力で精一杯努めよう。自分にやれることに全力で取り組まねば神様は決して出動して下さらない。役割分担を間違わないように。
世の中で一番尊い、すごいことは、あなたがあなたという、誰にもマネ出来ない、独自の個性を持ったいのちとして存在しているという事実です。サイババさんもイエスさまも、おシャカさまでさえも、そのあなたがあなたであるという絶対的な尊さの前では頭を下げ、礼拝せざるを得ないのです。
あなたが自分という存在を認め、許し、とことん愛しぬいてゆくと決め、人がなんといおうが、人のものまねはしない。自分は自分を信じて、どこまでも自分の足で歩いてゆくんだと覚悟が決まった時、欠点と思い込んでいたものから、いくらでも宝物がとび出してきて、こんなはずじゃあなかったのにと驚きの声をあげられるでしょう。
イライラしている時は、「遠くのもの」を見よう。空や海や星や…。
くよくよしている時は、「小さなモノ」と対話しよう。花とか、ペットとか、蟻とか、小石とか…。
しあわせになろうと思うなら、まず「自分がいかに恵まれてしあわせであることか」ということに気づいて感謝することだ。不平不満からしあわせは決してやってこない。
歩く時は、大地と対話する気持ちで…。チャンスがあれば大地(芝生や砂浜)に横たわって、そのぬくもりに身を委ねよう。大地はお母さん、天はお父さん。
毎日10分間でも坐禅するという習慣を付けて欲しい。歳をとるほど、「ああ、坐禅を身に付けておいてよかったなあ」としみじみ有難く実感することになるから。
誇りがましいことをすると必ず運が尽きる。目立たぬように、こっそり人のために尽くしてあげよう。
行き詰まった時は、窓を開けて風を入れればいい。また、外に出て強い風に身をさらせばいい。思い込みがほどけて妙案が思い浮かぶ。
まあ、たいしたことではない。何とかなるものだ。
負けてあげなさい。最後に勝てばいいのだから。
ひたすら一道を貫くという生き方は尊いことではあるけれど、人は二つの顔を持つことによって、モノゴトを客観的にみたり、大きな、あるいは高い視点から考えたりできるゆとりを持つことが出来るということもあります。
中村雅俊さんの話。
雅俊さんがドラマでセリフをとちったとき、「おれは、ミュージシャンだからなー」と言いました。
「じゃあ、歌手として上手く歌えなかったらなんていうの?」と人が聞くと、「おれは、役者だから」と答えたそうです。そばにいるスタッフは大笑いだったそうです。
大敬も教師と道の御用の二つの顔を持って進んでこられたので、うまくいのちのバランスをとって、暴走せずに歩んでこられたと思います。
「カーン」の言霊の詩
人生なんてカーンタン/アカンもスカンもあるもんか
スッカラカーンの覚悟決め/アッケラカーンと進むだけ
人の頼らず、車を借らず/ヘタはヘタなり一歩ずつ
エッチラ オッチラ 歩むだけ
人の評価はどうであれ/自分の心に鳴り響け
キンコンカンコン 歓喜の鐘だ
キンコンカンコン 勝利の鐘だ
「すべての人や動植物や自然の一切を『あなたは仏さまです』とひたすら礼拝し続けたから、私は「仏」となれたのだよ」とお釈迦様は法華経でおっしゃっている。
本気で、大声で「お早うございます」と声かけする努力をするだけで、世界が広くなり、運命が改善する。「挨拶」が最高の呪文、真言なのだということを忘れないで。
身心がつらくなってきたら、森林浴をしよう。植物は周囲に傷ついた生物が入ってくると、本能的にその生物を癒やそうとする。
植物はまだ自他を分かつ意識が発達していないので、自分の身体を癒やすのと同様にあなたの身心も癒やしてくれるのだ。
「木々さん、癒やしてくださいね」
「木々さん、癒やしてくださって有難う」
と感謝することを忘れないで…。
「難有り、有難し」、ピンチは思いをひっくり返せばチャンスだ。
夜明け前の闇が一番深く思えるものだ。夜明けは近いぞ!
自分の力の限界を正直に認めた時、あなたを通して神力が発動する。「非力(ひりき)」は「日力(ひりき)」なのだ。
今日の呪文「日日是好日(にちにち これ こうにち)」、意味は「今日もいい日!」これは願いではなく宣言だ。僕がそう決めるのだ。どんな日も「今日もいい日だ」と生きてゆく覚悟だ。つらい時も、腹が立つ時も、「日日是好日」、「日日是好日」と称えよう。ちなみに、これは雲門禅師の言葉だ。
今日の呪文「現成公案(げんじょう こうあん)」、これは「今自分が体験している出来事は、大宇宙(神仏)にとって、また自分にとっても、こうでしかあり得ない最善・最適の出来事なのだ」という意味。イライラした時、思い通りに物事が運ばない時、「現成公案」、「現成公案」と繰り返し称えてみよう。ちなみに、これは道元禅師の言葉だ。
ヘレン・ケラーの『私の信条』
○ 私は神を信じ、人を信じる。また精神(心)の力を信じる。
○ 私は、自己および他人を鼓舞激励すること、神が創られた世界に対し、不幸という言葉を発しないことを神聖な義務であると信じている。
○ なぜならば、神が善く創り、多くの人が善くしようと望んで努力してきたこの宇宙について、いかなる人間であれ、嘆息する権利を持たないからである。
○ 私は、いかなる人間にも、他人の疾苦艱難を座視して、自分ひとりが安楽な生を貪ることのない、幸福な時代に近づけようと活動すべき責務があると信じている。
○ 私が信条とする光明主義とは、善を信じ、輝かしい未来の到来を確信し、明日を今日より美しいものにするための努力を重ねる生き方なのである。
明日(あす)は今日(きょう)より美しい。
明後日(あさって)は明日よりさらに美しい。
「光明主義者」はそのように信じている。
へたくそでも自分の足で歩こうね。
これから運気が上がってゆく人は、次第に謙虚になってゆくものです。
好運に恵まれていても、傲慢な振る舞いが目につくようになってくると、
『ハハア、もうすぐ没落だなあ』と分かります。
心が陰気になれば運が開けることは難しいです。なにとぞ「春の気」になられて生活なさってください。(黒住宗忠公)
「どの人も」の詩
どの人も 精一杯の人生をおくっています
どの人も その人にしか歩めぬ人生を 歩んでいます
どの人も 宇宙でたった一人の 貴重な存在なのです
どの人も 本当はひとつに 結ばれているのです
どの人も きっと「ひとついのち」に 帰り着くのです
どっちにどう転んでも、あったかい大地の上。孫悟空でさえ、あったかいお釈迦様の手のひらから飛び出せなかった。
一生で成長できるのは、わずか1ミリほど。
それなのに、人より0.1ミリ遅い、人より0.2ミリ早い
などといって一喜一憂するなんて、つまらないこと。
今生だけですべてが決まるわけではない。今・ココで
自分にできる歩みを精一杯続けてゆけばいい。
人のことはどうであれ、自分は生まれ変わり死に変わり、
自分に与えられた道を、粘り強く歩み続けようと覚悟を
決めること。
世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。
新たな時代は、世界が「一」の意識になり、生物となる方向にある。
(宮沢賢治)
自分の顔は自分では見られない
でも、その顔を自由自在に使いこなすことはできる。
それでいいでしょう?
限りないいのちの全部を把握する
それはアタマにはできないこと
でも、そのいのちの全体を、
今・ココに盛り込んで発動させることは出来る
それでいいでしょう?
幕開けのことば
私は私を許します/私はあなたを許します/私は世界を許します
私は私を認めます/私はあなたを認めます/私は世界を認めます
私は私を愛しています/私はあなたを愛しています/私は世界を愛しています
私は私を抱擁します/私はあなたを抱擁します/私は世界を抱擁します
私は私でOKです/あなたもあなたでOKです/世界も世界でOKです
私が私であること、それは何と素晴らしいことでしょう
あなたがあなたであること、それは何と喜ばしいことでしょう
そして世界が世界であること、それは何と美しいことでしょう
私はしあわせになります/あなたもしあわせになります/そしてしあわせな世界の幕が開く(あく)のです
「ゆ」の言霊の詩
ゆっくり ゆったり 湯につかり
たゆとう お湯に 身をゆだね
心も身をも ゆるくして
じぶんをゆるし ひとゆるし
われ ひと ともに 癒ゆる道
NHKのメーク師であった岡村宏さんの『一流の顔』(幻冬舎文庫)より
岡村さんはジャンヌ・モローに会われた時、はじめはガッカリされたそうです。スクリーン上での若い頃の彼女のイメージがくずれて、初老のシワの多い顔のジャンヌ・モローがそこにいたからです。
しかし、時間がたつにつれてその彼女がとても魅力的に見えてきました。そのシワの光った顔には相手を包み込むような温かさがあったのです。岡村さんは次のように描いています。「自分の目標を達成した人の顔にシワはよく似合う。シワはその人の生きてきた年輪だ。失われていく若さと引き換えに、シワは人を柔らかく説得する力を与える。…シワに価値をもたせられるかどうかはその人の生き方一つなのである」
ハッピーエンジェルさんたちが「さあ、これをどうぞ」と次々プレゼントを差し出して下さっているのに、「私は忙しいのよ、それどころじゃない、あんた邪魔よ!」と、ハッピーエンジェルさんが差し出して下さっている愛の手を払いのけている人が多い。(完)
