『LA INTERNATIONAL』 2000.03月号
21世紀の展望と生命科学への期待
糸川英夫
藤原肇
わが国宇宙科学の先駆者、糸川英夫博士が亡くなって、丁度一周年になる。亡くなる直前に偶然、この対談が催された。慎んで哀悼の意を捧げると共に氏の真価を改めて評価したいと思う。
世代の交替と世紀末の意味
藤原:世紀末という言葉の意味に対して、先生はどうお考えになっていますか。
糸川:なぜ、世紀の終わりになると世紀末思想が出てくるかと言えば、一世紀は百年という長さを持つ時間であり、地球が太陽の周りを百回ほど回転して、その間に世の中がすっかり変わってしまうことになる。人間がオギャーと生まれて死ぬまでの一生が、ほぼ50年から60年だから百年で二世代が交替し、二世代までは価値観がほぼ共通だけど、孫の代になると価値観が完全に違ってしまうのです。
藤原:父や母など両親の経験は子どもにも伝わり、感情移入や理性的な考察が身近に出来るが、祖父母となると何となく遠い昔の物語りのようになる。
糸川:三代では百年という時間の差になるから、考え方が全く違って弛緩した状態に見舞われ、各世紀ごとの区切り目が世紀末になるのです。
藤原:先生はその区切りが百年だと言われますが、私はそれが60年で中国の干支(兄弟)の暦法になり、60年のサイクルで暦が一巡するように、家族や世代にとっての記憶のリズムがあると思うのですが……。
糸川:厳密に60年と言ったわけではありませんが、その60年はコンドラチェフの長期波動にもほぼ一致します。ほぼ50年から60年の周期が長期波動で、彼は産業社会にも寿命に似たサイクルがあると考えて、そのために経済循環があると指摘したのです。
藤原:経済統計が揃っていた英、仏、米において、共通して観察される景気の波に注目した彼は、資本主義経済の長期波動の仮説を作り、シュンペンターが後でそれを大いに評価しました。コンドラチェフの長期波動を支配しているのは、180年という太陽黒点の経年変化であり、180年の中には60年が3回と百年が約2回ある。
糸川:天体のサイクルはスケールが桁違いに大きいから、180年というのは変化の微動に過ぎず、更に小さな振れが100年や60年になるのです。太陽の黒点の活動が気象を支配して、その影響が穀物の収穫や価格を決定づけると考えたのは、英国のジェボンズ教授であり、「太陽周期と穀物の価格」という論文を書いています。
藤原:太陽の黒点の消長は電磁波の変化となって、地球上の動植物の生命活助に影響を及ぼし、それが自然の営みとして観察されるのです。ジェボンズは景気波動理論のパイオニアだが、その3000年も前に経験法則に基づいて、中国人が60年の還暦史観を持っていたというのは凄いですね。
糸川:人生50年ということもあったでしょうが、60は最小公倍数として1、2、3、4、5、6で割れるから、数学的に50より面白い数字のようです。
藤原:円周はその6倍の360度だし、60進法はメソポタミア天文学の基本であり、昔は一年を360日で計算したと言いますね。また、古代中国の股文化はシュメール文明であり、中国文明の源流はメソポタミアに繋がるそうです。
ベルサイユ条約とマーシャル・プランの恩恵
糸川:シルクロードを通じて結んでいるから、交流し合っていても不思議ではないな。
それで話を再び世紀末の問題に戻しますと、50年の人生が二世代で百年になるから、ほぼ百年で世代間の共通の考え方が消えるが、その具体的な例を挙げてみることにします。藤原さんはB-29という言葉が分かるでしょうが、最近の子供にお母さんがB-29のことを話したら、高校生ですが「そんな濃い鉛筆があるの」と言ったので、返事に困ったと私の所に相談に来ました。これは実におかしな話しだと思いませんか。
藤原:強烈なパロディですね。東京を焼け野原にしたB-29爆撃機が、鉛筆の柔らかさとしてのB-29になるなんて、戦前派の人には全く予想もつかない発想です。
糸川:でも、これは真面目な話しなんです。その高校生は実に真面目だったのであり、「その鉛筆はよほど濃いんだね」と言ったんだって……。戦後育ちの子供にとってはコンセプトが違うから、このような凄い断絶が生まれるわけです。今の日本はアメリカとの間でコンセプトの断絶があって、それが多くの摩擦の原因を作っているが、空間的なものに較べて時間の方が流れが急で変化も激しいから、世代間の認識の違いが想像を絶してしまう。例えば「ベルサイユ条約」を最近の若い人は知らず、ベルサイユについて知っていることと言えば、マンガで読んだ[ベルサイユのバラ]だけ。だから、[ベルバラ]がベルサイユに結びついているせいで、宝塚少女歌劇のイメージになっているのです。
藤原:最近の日本人はサブカルチャー好みであり、情緒的なイメージの世界の中に耽溺してしまい、満ち足りた気分に陶酔しがちです。文明のレベルで外に向かって開くのではなく、文化というより小さな枠組みの中に閉じ籠もって、一種の自閉的なタコ壼発想に支配されているからですよ。
糸川:ベルサイユ条約は大変な国際条約であり、あれが20世紀の運命を決定づけたという意味で、きわめて重要なものだと私は考えています。
藤原:おっしゃる通りで、私も先生の意見に大賛成です。
糸川:私はベルサイユ条約の前に生まれていまして、あの条約の締結の時は中学生になったばかりで、私の世代にとって実に重要な出来事でした。ベルサイユ条約はドイツが怪しからんということで、敗戦国ドイツをコテンパンに叩くために、非常に苛酷な賠償金をドイツに押しつけて、再起不能になるまで絞り上げた制裁条約です。
藤原:フランスと英国のドイツ苛めが余り酷いので、米国の議会は条約を批准しなかったから、ウィルソン大統領の理想主義外交は破綻しています。
糸川:ベルサイユ条約の酷さでドイツはやけになってしまい、その結果ドイツ人が選んだのがナチス体制であり、もしベルサイユ条約がなかったならば、ヒトラーのナチスは生まれなかったはずです。それを学習して人類は第二次大戦の教訓にしたから、大戦後に画期的なマーシャル・プランを生み、経済復興と平和の維持に成功したのです。
理想主義を反映した寛大なマーシャル・プラン
藤原:マーシャル・プランを貫く寛大な精神は、人類が誇りとする理想主義の結晶です。
糸川:そうです。マーシャル・プランは戦争に勝った国も負けた国も同じに扱い、戦禍の中から復興するのに協力しようということで、米国が巨大な援助をした素晴らしい計画です。寛大さの点ではベルサイユ条約の対極にありまして、米国は旧敵国にも積極的に支援の手を差し伸べ、経済の再建や社会の復興のために貢献した。特に日本に対してはフルブライト留学制度の形で、人材の育成の上で素晴らしい貢献をしています。
藤原:フルブライト奨学金と食糧援助のガリオアエロアですね。
糸川:日本は真珠湾奇襲攻撃で戦争を始めた国だから、米国から賠償金を要求されたとしても、本当は文句を言えない立場だったのです。真珠湾で沈めた軍艦の代金を時価で払えと要求されたら、宜戦布告しないで攻撃したのだから払う義務があった。
藤原:複式計算で利息まで払えと請求されたら、日本政府もノーと言えなかったでしょう。
糸川:当たり前です。今まで行われた戦争のやり方を見ても、真珠湾のように無警告で相手を襲撃して、戦力を根こそぎにした例はありません。少なくとも戦争をする上での手続きとしては、最後通牒なり宣戦布告をするのが礼儀ですよ。
藤原:奇襲作戦は日本軍が得意とする戦法だが、それは戦争の局面の戦闘レベルでは有効でも、国家関係の基本である外交断絶を抜きにして、突然に攻撃したというのでは騙し討ちになる。ただ、真珠湾奇襲は最初から騙し討ちをする気はなく、最後通牒を出す手はずを整えていたのだが、ワシントンの日本大使館の役人が送別会の後で、中華レストランでマージャンをしたために、電報の翻訳が遅れたという大失敗を犯したのです。
糸川:そのような色んな説が流布しています。だが、奇襲があった事実に関しては否定できないから、騙し討ちだとされても弁解の余地がない以上は、軍艦の賠償の請求書が来ても当然だった。ところが、マーシャル・プランのお蔭で払わずに済み、逆に日本の復興のために面倒まで見てもらいました。マーシャル・プランは本当に素晴らしい計画であり、哲学としても世界人類にとって大貢献した点を考えて、50年後の現在の段階でその精神を受け継いで、新計画を実現する人が出なければいけないのです。
藤原:マーシャルは参謀総長として戦争を指揮したが、彼は軍人の枠を越えた指導者として、ルーズベルト以上の優れた政治家でした。だから、戦後になって国務長官として采配を振い、ハーバード大学の卒業式に臨んだスピーチで、マーシャル・プランを訴える見識を持っていた。その点で同じ国務長官でも三流の人間であり、国際政治を米国と個人の利権漁りに使った、あのキッシンジャーとは人間としての格が違います。
戦後の技術革新とフィードバックの原理
糸川:マーシャル・プランは経済復興だけではなく、戦後の産業社会の体質も大きく変えたが、具体的には車のオートマチック変速装置として、自動車を文明の中に組みこむことを実現しました。この自動トランスミッション装置がなければ、簡単に運転免許証を取れなかっただろうから、今ほど大量の人が車を利用できなかったはずです。
藤原:オートマトン(自動制御)の典型が車の自動変速装置だし、これはサイバネチックスの集大成であり、それを基にコンピュータに発展したわけです。
糸川:自動変速装置はフィードバックの技術に基づき、オートメーションはそのロボット化したものです。テレビはリモコン装置によって動いており、これはロボットが操作しているということで、通信、交通、工作などをコントロールしているのは、すべてフィードバックの機能に基づいている。20世紀における最も優れた技術は、機能を調整するこのフィードバックの技術であり、20世紀はこの技術を完成しただけでした。エレクトロニクスや製鉄技術が発達したといっても、すべてフィードバックの技術に基づいており、コンピュータにしても基本はフィードバック技術です。
藤原:20世紀はフィードバックの実用化の世紀であり、機械や電子工学のようなリニア(線形)運動を通じて、分かりやすい連続運動をしている分野で、実用化による便利さを最大に活かしたことになる。そうなると21世紀に待ち構えているのが、ノンリニアー(非線形)の分野に関わるものだと分かるし、そこにフロンチアが広がっていますね。
糸川:そうです。われわれが学んだ20世紀の理論の基礎は線形であり、過去や現在の経験から予測が可能になるものです、だが、目下われわれが直面している不況や環境問題などは、周期曲線の上に乗っていない非線形であり、複雑性(コンプレクシティ)の領域に属していることが多く、これまでは予測不能で扱いが難しかった。だが、コンピュータを使うことで片付けられるようになり、これが非常に重要な20世紀における成果で、人類は大きな突破口を持ったことになります。
藤原:でも、複雑性やカオスの問題に取り組んで挑み、新しい考え方の突破口を開いたのは、サンタフェ研究所に集まって仕事をしたアメリカ人たちで、複雑系の理論も日本人にとっては輸入学問に過ぎません。
糸川:日本人はモノを作る技術は得意ですが、原理を追求してなぜと考える科学を軽視するので、どうしても独創的なものを持ち得ない。それは哲学する姿勢を持ち合わせないからであり、ハウがあってもホワイがないためです。ホワイに関心を持って仕事に挑んでも、評価されないしバカにされるだけであり、私も卒論で音速の壁に挑んで非線形の考えを出したが、東大教授で分かる人がいなくて無視されました。
藤原:日本では古い理論を丸暗記しているのが大先生だから、新しい考えは冷笑や黙殺されるだけでなく、徹底的に嫌われて排斥されるのです。日本は外やフロンチアに向かって閉ざされていて、大学や会社がムラとして村八分の舞台になっています。
糸川:上に立つ人が確固とした哲学を持っていないから、古い知識や肩書きが権威の拠り所になり、新しい考えや発想を受け入れないのです。「逆転の発想」といった本を出したので、私はユニークな発想の持ち主だと言われるが、私は生まれつき素直な男で当たり前のことを言うに過ぎず、特別にユニークだとは自分でも思いません。
藤原:独創性を認めない日本という環境は、哲学の貧困に支配されているのです。
20世紀の哲学としてのビッグバン仮説
糸川:20世紀において記念すべき哲学の成果として、ベルサイユ条約とマーシャル・プランが挙げられるが、サイエンスの世界で画期的だったものとしては、ビッグバンの仮説があると私は考えます。
藤原:ビッグバンですか。私はビッグバンは存在しなかったと考えており、宇宙の生命が150億年の歴史しかないというのは、作業仮説として余りにも短すぎるから、仮説の有効性の面でも短期的だと予想します。
糸川:私は40年間にわたってビッグバン問題を追いかけ、ロケットにX線の撮影機を乗せて打ち上げ、ビッグバンがあったかどうかを確かめました。そして、150億年前に宇宙の一点で大爆発が起こり、真空の中からすべてが生まれたというのは、実に大変なことだと考えています。私は本を読むだけでは納得しない男でして、そのためにペンシル型のロケットを打ち上げたが、狙いはビッグバンの存在の確認のためです。
藤原:それで、先生はビッグバンの存在を確認したのですか。
糸川:しました。自分で計って確認したから絶対に確かです。私が計測する前は教科書上の仮説であり、ハッブル天文台が赤外線観測で発見した、赤色偏移による宇宙膨脹説が根拠だった。だが、自分でX線の考えに基づいてロケット観測をして、星が大変な速度で遠ざかっていると確認したので、宇宙が一点から始まったことになりますし、ゼロの中にプラスとマイナスが同時に存在して、ビッグバンで総べて始まったと確信します。
藤原:だけど、ビッグバン仮説を支持する物理の專門家たちは、ゼロと無限の間の微分できる領域だけを考えて、ゼロや無限大の彼方について無視している。先ほど先生に差し上げた「宇宙巡礼」というメタサイエンスの本の中で、私は無限の彼方の空とゼロの彼方の無が、メビウスの輪によって繋がっており、ゼロ次元が特異点であると論じています。
糸川:特異点があることはホーキンスも論じており、ビッグバンがなかったと考える人も沢山いるが、50年を費やして自分でロケット実験をして、カメラで宇宙を撮影した結果からしても、私はビッグバンの存在を疑っていません。この結論への批判や反論はそれでいいのであり、20世紀の人間はそこまでやったのです。
藤原:でも、21世紀の人間がホロコスミックスの理論を体系付け、空と無の繋がり具合について解明すれば、ビッグバンに関しての新しい理解が生まれるし、更に包括的な新仮説が登場するかも知れません。
生命のビッグバンと生命誕生の謎
糸川:宇宙のビッグバンはそれで良いのですが、それより興味深いのは生命のビッグバンであり、それに関して未だ誰も突破口を見つけていません。生命が誕生したのは今から40億年ほど前だと言われ、地球の誕生から10億年も経っておらず、非常に早い時期に最初の生命が誕生しました。最初の生命はDNAだということでして、アミノ酸とたんぱく質が根源だとされるが、アミノ酸を幾ら作っても生命にはなりません。だから、生命を作る根源は何かということに関しては、遂に20世紀は解明できなかったのです。
藤原:サイエンスがサイエンスの次元で空回りして、次元の飛躍でメタサイエンスに行かない限りは、ビッグバンの宇宙論から脱却できません。宇宙は宇宙システムのサブシステムであり、それを含むドライウエアで考えた時に、宇宙レベルでの生命現象が捉えられるのだし、虚次元で考える新しい領域に視野が広がるのです。
糸川:そういうビッグバンと違った考え方については、前に私が英国からホーキンスを呼んだ時に、彼が講演の中で説明したことがあった。皆がビッグバンの前に何があったかと質問したら、宇宙は地球みたいな球だという図を描いて、大爆発した波は一点に集まって消えてなくなり、そこがブラックホールだと言うのです。これは輪廻の思想と結びつく考えですが、物質の起源は宇宙のビッグバンに結びつくにしても、その前については未だに何も分かっていません。何で一点から大爆発が起こったのかを始め、爆発して発散だけで収れんしないのかについては、これまで誰も問題にしていないのです。
藤原:これまで何千人もの物理学者がいたのに、問題にしなかったのは不思議ですね。
糸川:宇宙のビッグバンに関して確信しているのは、自分でロケット実験して追跡したからです。ところが、生命の方はいつどうして始まったかに関しては、これまで全く分かっていないままなのです。最初に一匹だったものがどんどん分かれて、モノセックスからバイセックスにと進化したのだが、アミノ酸までは簡単でもせいぜいそこ迄です。たんぱく質に関して水の中で実験を行ったが、地球上でどうして生命が誕生したかについては、どうしても分からないままで終わっています。
藤原:物理学者の生命観では分からないでしょう。地質学の専門家として私は地球を相手にし、スケールが違う時間の枠組みで捉えることで、鉱物に生命があり地球も生き物だと考え、宇宙も生命現象を営んでいると理解しています。
糸川:[ガイア仮説]を出したジェームス・ラブロックもそう考えて、藤原さんと同じように地球は生き物だと言ってます。彼はバイオスフェアー(生命圏)は進化能力を持ち、フィードバック機能を備えた集合生命体であり、サイバネティックスであると考えました。そして、生命を司るホメオスタシス(恒常性)を持つシステムに対して、大地の女神ガイアの名前で彼は呼んだわけです。
藤原:生命の発生は地球という生き物のストレス問題で、ストレス作用を通じて進化のメカニズムが働き、単細胞から複雑な人間まで進化したのです。
糸川:その点については賛成だが、生命の起源について全く分からないままです。
宇宙から来た生命
藤原:地球が宇宙の産物であるのと同じ理由で、生命もおそらく宇宙から来たのです。
糸川:そう言う人もいます。宇宙起源説と地球上で出来たという二説があり、宇宙から来たのなら証拠が必要になるので、40年を費やしていろいろ調べましたが、今のところ私は証拠を掴んでいないのです。私の説に注目して追ったのがリチャード・ドーキンスで、あの人は詰まらない本も書くが発想が良くて、物凄い指摘をする才能に恵まれています。
藤原:ドーキンスが糸川先生の後を追ったとは、うかつにも私は存じ上げませんでした。彼の遺伝子についての発想は興味深いし、特に自己複製能力に着眼したというのは、進化を考える上で非常に画期的ですね。
糸川:時計をバラバラに分解して部品を地球上にばらまき、それを盲人がかき集めて時計に組み上げる確率から、という組み合わせで生命が誕生するかを考えた、ブラインド・ウォッチ・メーカーの発想には頭が下がります。遺伝子の基本はATGCの4つのヌクレオチド(核酸塩)からなり、生命は4つの鍵盤で出来たピアノと同じです。そして、地球上で生命が生まれる確率を計算すると、10分の1の260乗くらいになって、小数点の後に0が260も続く小ささだから、宇宙から生命が来たと考えるしかないのです。
藤原:彗星の頭が氷で出来ていることからして、水が生命体の基になっているのは疑いなく、生命の本質はウエットウエアに関わっています。
糸川:水が生命の基だというのはその通りだが、地球上で生命が出来る確率はゼロに近いし、一番近い星から地球まで飛んで来るのに、一億年ちかくも掛かる計算になります。
藤原:でも、ハレー彗星は76年毎に地球に近づくし、もっと遠くから来る彗星だってある上に、隕石だって宇宙からの生命を運んで来ますよ。
糸川:隕石が最初の生命をもたらせたにしても、隕石がどこから来たかを考えて追って行くと、総べてがビッグバンから始まったことになる。ここまでは20世紀という百年間の成果であり、人類がこの世紀にやった唯一の実績でもあるが、結局は生命の起源については分からなかった。今世紀の人間はお金やモノに振り回されたが、それは幸せになることとは直接に結びつかず、幸せや喜びという生命の根幹については、サイエンスにとっての基本テーマなのに手付かずです。だから、生命に関しては21世紀に持ち越されており、生命こそが素晴らしい価値である以上は、生命問題が総べてを決定づけるはずです。
生命の謎に挑むトンネル顕微鏡の威力
藤原:「ロビンソン・クルーソー」物語を読むと良く分かるが、彼が難破船で金貨を見つけたのに捨てた理由は、貨幣が価値でないと洞察したからであり、小麦の種を太陽の光と水で養育して自己増殖させ、生命の再生産に価値の根源を知りました。
糸川:生命も人間としては幸せが何よりも大切だが、20世紀はエレクトロニクスの世紀なのに、この世紀はそれを計る機械を作れなかった。最初は真空管だったが段々と小さくなって、トランジスタからICやマイクロプロセッサになり、最も目覚ましく発展したのは半導体だから、小さなシリコンは真空管の百万個に匹敵した。また、電子顕微鏡で微小な世界を見ることが出来たお蔭で、科学的な発見や発明を実現したのです。
藤原:細胞や分子までは電子顕微鏡で観察したが、ビールス以下のものには手が届かないままで、未知の領域が未だたくさん残っていますよ。
糸川:でも、20世紀の成果を電子顕微鏡の例で考えると、コンピュータや分子生物学の目覚ましい発展は、電子顕微鏡のお蔭だったと言えますから、その延長線上で21世紀を考えると分かり易いのです。ここに来てトンネル顕微鏡が出来たので、電子顕微鏡より更に微小な世界の観察が可能になり、生命について大発見が期待できるのです。
藤原:そのトンネル顕微鏡のメカニズムは、どんな具合になっているのですか。
糸川:粒子がA点からB点まで行くためには、従来の機構では飛び越えなくてはならないのに、トンネル顕微鏡では突き抜けて行けるから、実に画期的な装置と言えるのです。
藤原:現在のコンピュータは0と1のオンオフ関係だが、その間にフラクタル次元の組合わせを作って、デジタルとアナログの転換を自在にする。21世紀にはそのような多様性に基づいた発想を生かした、ハイブレッドなものが活躍するでしょう。
糸川:それはトンネル顕微鏡の原理にも共通であり、原子が同時に粒子でも波動でもあるように、ゼロの中にプラスとマイナスが存在して、生命の本質も全く共通であるとの理解に至ります。20世紀は主観に振り回されましたが、21世紀はより客観的なものが主流になり、色んな面で期待できるものが多くなります。
藤原:そういった目で20世紀を眺めると、やり残したものが良く見えて来ますね。
糸川:ベルサイユ条約に続くマーシャル・プランがあったが、20世紀はエレクトロニクスの発達にもかかわらず、幸せについて計測する機械を作れなかった。だが、21世紀のマーシャル・プランに相当するものが、どんなものであるかを構想する努力を通して、人類の幸せについて具体的に分かって来ます。私は日本民族のことは余り問題にしておらず、地球全体がどうなるかを専ら考えており、21世紀に期待できると確信しています。だから、やり残しているものについてじっくり考えれば、日本人が悩む経済問題も大したことでないし、サイエンスの問題も展望が開けると思います。
藤原:日本という枠を越えて人類の次元で捉えれば、初期の段階は20世紀の名残りで混乱があっても、21世紀は希望に満ちた明るい時代になる。そして、試練を乗り越えて生命の神秘を解明することで、地上の楽園が実現する感じがします。