もう17年前のお話です。
海外への旅がらみの。
私たちの業界では、仕入先のメーカーさんが
中心となってその鉄鋼製品の販売代理店が
私たちのような問屋を束ねて会を組織します。
T会となづけられたその会はT製鋼さんがメーカーです。
T会では2年おきに海外旅行に行きます。
その年の旅行先はトルコとエジプトでした。
とても行きたかった地名が旅行案内書にありました。
それはルクソール。
だからそのたびへは参加をさせていただきました。
全国から総勢40名ほどの人が集いました。
「飛んでイスタンブール」
最初の訪問地はトルコ。
歴史ある街や史跡を訪ね、夜はベリーダンス(おなかをくねらせる)
を見ました。
そして東郷ビールも知りました。
ボスポラス海峡を遊覧する舟の中では、
ロシアから密輸入されるキャビアの缶詰を販売していたので、
それを全部買い占めて、一部を肴(さかな)にして
日本から持参した日本酒パックの酒を船内で
仲間と飲んだのがなつかしいです。
一緒に飲んだ愛知の他問屋の社長さんは後継者の
方が身内になかったのか、今は社長業を番頭さんに譲っています。
翌日イスタンブールで一泊し市内観光をして、
夕方エジプトのカイロに向かうため空港へ。
そしてチェックインをして搭乗口のところで
みんなが待機します。
カイロ行きだけあって韓国の人たちやヨーロッパや
イスラム諸国の人たちも一緒です。
事件はこのあとおきました。
搭乗の時間がきても案内がないのです。
待つこと3時間。
何かトラブルがあったのか、特にアナウンスは
ありません。
ツアーコンダクターの方が係りの人に
訊いても、わからないというお返事です。
みんながイライラしながらなお1時間ほど待ちました。
やっと搭乗口がザワザワして搭乗開始となりました。
予定時刻を4時間あまり過ぎていました。
それから遅れた説明があって、それは飛行機の左後部の
ドアが閉まらないという理由でした。
ほんとにシマラナイ話です。(笑)
搭乗後も飛行機は少しも出発する気配をみせません。
そして何かそのドアのところで係りの人が必死に
修理をしています。
結局1時間ほど機内にいたのですが、
もう一度搭乗口へ逆戻りで待機となりました。
そしてさらに2時間待つことになるのですが、
それからさまざまな国の国民性を目撃します。
ヨーロッパの人たちは静かに本を読むか
眠っています。
イスラムの人々は神様の言うとおりと達観の姿勢。
韓国の団体は一部の人たちが閉じられた
搭乗口のドアを足でけって、なんだかわめいています。
そして日本人といえば、代表の幾人かを立てて
飛行機会社の代表と直談判する行動を起こします。
それぞれの姿が見えました。
結局7時間待って、飛行機は飛ばず、一応
まる一日待って翌日の同時刻の飛行機に乗る
予定となりました。
飛行機会社の用意した空港近くのホテルに
移動です。
そしてH商事の社長さんと同室にて休むことに
なりました。雑談の中で社長さんは言いました
「あのね、谷底へ水を汲みに行くのなら
どうせなら大きなバケツで行きなさい。」
松下さんの水道哲学です。
眠りに入ったのは午前3時、
そして午前6時、町中に響き渡るコーランの声が目覚ましとなりました。
午前8時ホテルのロビーに全員が集合。
みんなでこの先の旅行の相談です。
T製鋼の社長さんが、少し高くなったイスの上に立ちました。
「みなさん!!、ご存知のとうり昨日は飛行機の不備で
カイロに出発することができませんでした。
そして本日、昨夜と同じ時刻にカイロに向かう予定と
成っていますが、航空会社に問いあわせをしましたところ、
昨日と同じ飛行機を修理して、その飛行機で飛ぶことに
成りました。
そこでみなさんにご相談です。
このままエジプトへその飛行機で飛ぶのか、
エジプト行きは断念して、他のスケジュールを組みなおして
トルコで旅を続けるのかの選択をしなければなりません。
ただエジプトに行っても、翌日の予定であった
今回の旅のハイライトであるルクソール行きはキャンセルとなります。
ご意見のある方はどうぞご発言ください。」
この社長は2代目さん。
若くてすこしファンキーで、芸能好き。
横浜に撮影スタジオを副業で作るような方だ。
そしてそんなにリーダーシップがあるようには
思われなかったのに、大きな声ではっきりと
みなさんに呼びかけたのには拍手を贈りたかった。
さまざまな意見が飛び交った。
「同じ飛行機じゃ怖くてイヤだ。!」
「ルクソールへ行けないんじゃ、エジプトへ
行っても意味ないよ。!」
「トルコをもっと見たい。」
「飛ぼうよ。エジプト行きたい。!」
みなさんの意見をじっと聞いていた社長。
だいたい意見がでなくなるころ、はっきりとした口調でこう言った。
「みなさん!みなさんのご意見はわかりました。
結論を申し上げます。
旅はこのまま続けます。
今夜エジプトへ発ちます。」
毅然とした大きな声が盛大な拍手を呼んだ。
立派な決断力でした。
そして飛行機はエジプトへ旅立ち
カイロに無事降り立ちました。
まさに命がけの飛行。
着陸時には各国の人々が同じように
大きな拍手をして無事を喜び合いました。
われわれが帰国してほんとにしばらくして、
ルクソールでのテロで幾人かが亡くなる事件が報道され、
その中には日本人の新婚夫婦の方も含まれていました。
大きな感慨がありました。
その後、T製鋼の勇敢な社長はS日鉄に会社を譲り渡し、
私たちの直接の取引先のN鉄鋼の社長も先代が起こした
会社から身をひきました。まだおふたりともお若い。
現在T製鋼は他の2つのメーカーと合併した姿にて存続しています。
世の中の事情は変化しました。
でも、あのときのあの決断がその後の
彼の人生を決めたような気さえします。
人は「ソレ」を学ぶのでしょうか。
私の人生ではまだルクソールが呼んでいます。