ある道のり~ヨイトマケの歌~

昭和38年、中学三年生の時にテレビがやっと家に来ました。
もちろん月賦ですが。
楽しみが増えました。

ある日、歌の番組を何気なく見ていました。
黒い服を着たきれいな短髪の男の人が
歌っていました。
当時の丸山明宏さん、今の美輪さんです。

太いはっきりとした声で歌っています。

「ヨイトマケの歌」

歌を聴いていてなぜか涙が流れてきました。
一人だけだったので、恥ずかしいけれど、そのままにしていました。
今は歌とか、音楽とか、劇とか感動ばかりですが、
まだ中学三年生、自分のからだを不思議に思いました。
感動ということの始まりです。

母の最後の仕事はP化粧品のセールスレディー。
成績も良く生活も安定してきて、テレビも買えました。

でも毎日の売り上げが頼りです。
母は帰りが遅い、食事も母だよりなのです。
遅い戻りをおなかを空かせながら待つ兄弟たち。
ガラッと引き戸が開く・・・。
その音で今日の成績がわかります。

重い荷物を両手に持って歩き続ける母。
その母に食事が満足でないと不満を浴びせる男です。

なんてことを言ってしまったんだろう。
母に不満を言ったことが恥ずかしく、
母の苦労を教えるかのように「ヨイトマケの歌」は
ずっしりと心に響いたのです。

もっと母に優しくしよう。
もう不満はやめよう。
決意しました。
歌の力です。

豊山村に家が移ってからたまに帰りに
バスの中で母に会います。
母は仕事の、こちらは学校の帰りです。
車中でたくさんの荷物を抱える母から「まあちゃん」と
声がかかります。
恥ずかしくて知らんふり。
二人はそこから歩いて15分家へ向かって、
広くない車道の脇を歩きます。
私バスに乗れば家のすぐそばが停留所なので
楽なのですが、節約です。
もう暗いですから母の荷物を一つ持ちます。
もちろん重いほう、10キロ近く。
母は辞退しながらも嬉しそう。
長い道のりを無言で歩きます。
歩きながら「かあちゃん知らんふりしてごめんね。・・・」と
心の中でつぶやいています。

晩年彼女はすい臓がんとなりました。
そのころすい臓がんの手術はめずらしく、
名古屋で手術。
一年少しの存命でしたが、切除手術後のその頃の記録となりました。

千種区の病院で療養中、幾度か見舞いました。
「先生が勝手にいろいろ食べたらいかんって
言うんだわ。」
彼女のおなかは見ればすぐわかるくらいに新生物で
ぱんぱんに脹れていました。
「好きなものを食べればいい。」と禁止されているお金を渡します。
母は病院を抜け出し、お店で食べたいものを食べます。

歩行器につかまりながら、しわがれた声を
絞りだし、「どうしてこんな病気になっちゃったんだろう・・・」。
その声は死後も長い間耳についていました。

いよいよの時が来ました。
名古屋医療センターでの最後の時。
さすがの父も見舞いに来ました。
父が帰ったあと母に聞きました。
「お父ちゃん、ごめんなって言ってたか。?」
母は無言でした。
その後一週間で逝きました。

苦労ばかりで、決して幸せだったとは言えない母の人生でした。
晩年はとても幸せになりましたが、
何が幸せだったかは本人にしかわかりません。

母の遺言は三つ。

他人の保証人になるな

印鑑は人に渡すな。

女の人は作ってもいいが、子供は作るな

無口で泣き言を言わない母、「どうして?・・・・」の言葉は
初めて耳にした彼女の愚痴でした。

おかあちゃん生んでくれてありがとう。
できていないこともあるけれど、
ちゃんと生きているからね。