「男女は交わるものである。」
ある哲学者のことばです。
プラスとマイナスは引き合うのは真理です。
交わってゼロとなり、子供が生まれる。
人はなぜ恋をするのでしょうか。
そしてそれはなぜ破れたりするのでしょうか。
永久ではない人の心。
人間は飽きやすいもの。
淡い初恋は中学三年生のお隣の女子でした。
名前のアルファベットが同じなので何をするにも
その女子Mさんが一つ前です。
まだその頃はこちらもM姓でしたから。
その女子のことが今もとても気にかかり、
様々な情景とともに時々夢に出てきます。
だいたいこちらは本当に奥手で、
体育の野外の運動で、女子が健康そうなのに
休んで見学していると、「何故だろう」と不思議でした。
たずねると早熟の知恵男子が教えてくれました。
「お前バカか・・。女子にはみんな同じ病気があるんだわ。」
同じ病気?不思議だなあ、なんだろう。
そこでやっと家族の血に汚れた下着を見た
経験を思い出すくらいです。
先生の進学指導の相談の待ち時間。
一つ前のそのMさんと、目を病んで眼帯付きの
こちらと、壁に背をもたれかけて並んで沈黙の時間。
なんだか胸がどきどきするのです。
これってなんだろう。
箱根行きの修学旅行が終わり。
旅の数々の写真が掲示板に張り出されます。
みんなのスナップや集合写真。
その中から欲しい写真を申し出ると、
他の人でも手に入れることができます。
張り出された翌日、Mさんの親友のHさんが
そばに来て聞いてきました。
「あの、Mさんが湖で写っているあなたのお写真を
欲しいと言っているんですが、いいかどうか
聞いてほしいと頼まれたんです。」
Hさんは宗教家の家の娘さんで丁寧です。
即座に「いやです。」と冷たい返事。
Hさんは悲しそうでした。
たぶん遠回しのMさんの告白のメッセンジャーだったのでしょう。
とにかく20才になるまでは本当に女性の手を
触ったら子供を妊娠すると思ってましたから。
まして超硬派。超奥手。
学生なのに男女交際なんて、とんでもない。
本音とは裏腹のこの出来事を、生涯を通じて
思い出すことになろうとは思ってもいませんでした。
中学を卒業し、彼女は商業学校へと進みました。
高校に入りたての一年目、同窓会がありました。
「ハゼ釣り」を交えたユニークな企画でした。
彼女は来ていました。
何も言わずお別れしたのですから、さらに写真を
断った弱みもあって、結構近くで過ごしました。
釣りは得意なので、キャーキャー言ってゴカイの餌付けを
嫌がるのをつけてあげたりしました。
初めて会話を交わした日となりました。
その日を限りの5年間のお別れでした。
もう会うこともなく、Mさんの記憶も薄れがちな20歳のできごとです。
硬派の殻が破れ、多くの女性とお付き合いを
していました。
それでもまだ手も握らない。
栄町の交差点にあるオリエンタル中村(今の三越)で
お中元用の洗剤の包装のアルバイト中です。
その中村の屋上で近々、今の家内と初デイトをすることが
決まっていたのです。
それ以外にもたくさんのデイトがあってモテ期です。
チャラ男の下地が出来た頃だったかも。
「もしかしてMさん?」
朝通勤でお店の中の通路を通るときに
チラッと見かけたのです。
それからも朝の時間に幾度か見かけました。
彼女は一階のどこかの売り場で働いていました。
ある朝、いつものように通路を抜けようとすると、
10メートルほど先でこちらを正面にまっすぐに見て、
意を決したように立っていました。
髪を下ろして大人の女性。
ものすごく美しく見えたのです。
その瞬間、5年後の彼女の再挑戦のような気が伝わりました。
それでもやはりまた無視してしまった。
いろんな事情が軽くない決意を止めました。
後に結婚することになる運命の人との初デイトが
目前に決まっていたことや、他の人とのデイトで金欠状態
だったことが声をおかけすることを止めたのでした。
Mさんとはそれが最後の姿、最後の縁でした。
やがて短期の百貨店でのアルバイトもやめて、
他の仕事に変わりました。
ところが人生の終盤を迎える今になっても、
その時の毅然とした決意の、ものすごく輝いていた
Mさんの姿が浮かんできます。
それどころかどこかの家で家族と暮らしている姿が
夢に幾度も現れるのです。
苦労しているんじゃないだろうか。
幸せなんだろうか。
なんだかそんな思いで心が痛いのです。
自分のした心無い行為が重く心にのしかかります。
心にうそをつく行いは長く人生の記憶になる。
そう強く感じさせていただいてます。
人生の縁はどこでつながるのでしょうか。
今生でのMさんとのお出会いは、50年を超える
長くて淡い初恋の思い出となりました。
Mさんが幸いでありますように、願わずにはいられません。