ある道のり~いのちの実相10 生気への道 1~

娘がイメージした場所へ落ちていきました。
「ああ今度はダメかも・・・」

あの堅い屋根に7階から落ちて無事なはずがない。
それでも、あまりの激しいできごとにも心は冷静でした。

もしかしてと、予見する心があったのかも知れません。
とにかく救わなくてはと、救急車が到着と同時に
9時すぎの時間なので、もういなくなった3階のテナントさんに
連絡を取り、入室を許可いただいて、2階の突き出た4分の一円の
コンクリート屋根に横たわる娘を地上へと降ろしていただくのを
ぼんやりと見ていました。

出血はしていたようですが、頭ではありません。
救急車で先回と同じK病院へ。
そして緊急手術です。

先回の時と同じ先生が見てくださりおこられました。
「今度はダメですよ。!もう何回もやるんだから。!」と
怒り声です。

長時間の手術は終わりました。
結局頭を打っておらず、胸椎、骨盤、腰椎、左かかとの骨折で済みました。
骨折ですから背中にボルトが二本入りました。

しかしながら生命の危機が迫っていました。
手術後の危険な一日を終えて、娘はまた不死鳥のように蘇りました。
昏睡はその後数日続きます。

そして目覚めたのですが、数ヶ月の間、家族の認識ができない状態が
続いたのです。
落ちた場所は人間が横たわって、頭と足の前後がわずかに
20~30センチしかない場所です。

「あ~あ」とため息がでたのはそんな場所に落ちたら
まず間違いなく頭を打ち、即死が考えられたからです。

しかし娘はまたしてもこの世界からの離脱を赦されませんでした。
人生には何か知れぬ個人のシナリオがあってただ
そのシナリオをたどるだけかもしれない。

このふしぎな事件は、まさにそんなふうにしか考えることができないのです。
気のS先生とはこの事件で、ご縁が途切れました。

3か月のK病院での入院後、転院を勧められ将来のリハビリもできる
A病院に転院となりました。
時は9月になっていました。

精神科と整形外科の両方を治療可能なその病院が
娘の人生の中で最大の転機となる場所となったのです。

K病院の入院中も、前回と同じように精神薬は一ヶ月の効果がある
強い注射だけでした。

そんなことも関係ないほど、口からは狂ったような言葉、
そして家族の認識がまったくありません。

ところがこの入院中多剤処方でなく、単一のただ
精神をしびれさせるのみの薬だったことが、その後の
快復の大きな助けとなることには、まだ気づきません。

そして今回のこのA病院で主治医になっていただいたH先生が救世主となるのです。
さらにまだ自分の認識すらない状態のときからずっと整形の
リハビリを担当していただいた女性のC先生との出会いも救いとなりました。
毎日毎日病院に見舞いに行く日々が続きます。

早く気づくように、そして歩くことができるように。
それはほとんど祈りでもありました。
しばらくは幻聴があり、私を見てもいつも敬語です。
それは誰に対してもです。

ただ言葉は弱く、何か現実からの逃避をし、相手を突き放すかのように
敬語を使うのでした。

精神薬はここでも月に一回の強い向精神薬の注射のみです。
そしてベッドでの足のリハビリが始まりました。
12月になっていました。

やっとお父さんが分かりました。

そして同時に敬語もやんだのでした。