随想 伊路波村から~高野山の秋 ~出逢い・縁~ 041111

平成13年11月6日夜、
愛知県豊橋市で用事が済んだ時刻が午後10時20分。
それから高野山へ向かう。約5時間はかかるだろう。

新郎Kさんと新婦Nさんの結婚式が翌7日に高野山で行われる。
その場に立ち会うためだった。

「さて、車中の長い時間をどうしよう。」と思ったとき、
ありがとう実験を思いついた。

小林正観さんの著書「幸せの宇宙構造」のなかにあったのだ。
「ありがとうを無感情に言っていても、1万回位言ったところで、
涙が出てくる。

その後、心から感謝のうちにありがとうが言えるようになる。」
いっそ、「ありがとう」より「ありがとうございます」でいこうかと決めた。
1分間で約50回言える。幸い人も聞いていない。チャンスだ。

豊橋にむかう車中で、1時間半。
そして高野山への道中で3時間半。
合計5時間「ありがとうございます」を唱えてみた。

後で計算してみたら、丁度1万回位のところで(約3時間半)眼から涙がにじんできた。
そして何もかもに感謝の気持ちで言えるようになった。

名阪道を数珠つなぎで走るトラックの運転手さん、
道路、樹々、山、そして風。月。つぎつぎに御縁ある人々の顔が浮かぶ。
人生の数々の出逢いの人びとが。

橋本市を過ぎ、運転手をも酔わせる20km程のグネグネの山道。
高野山にむけて、歩いたであろう、多くの人びとの想いがかぶさる。

敵も味方もなく、長い時間を人びとは高野にむけて歩いた。
恐ろしいほどの静寂が山中に横たわる。行き交う車も皆無。
戦国の武将たちや歴史上の英雄が死んだら
高野山へ葬ってくれと願ったその高野山。

弘法大師が開いたこの地に生かされた時間の
すべての想いを捨てて,敵、味方を越えてここに眠る人びと。
日本人って何だろうと不思議な国民性を想う。

走り続け、唱え続けて、7日午前3時20分。

浪切不動尊(空海が唐より持ち帰った仏像)を安置する南院前に到着。
不思議に疲れも眠気も感じない自分を知った。
素晴らしい体験だった。

午前6時、護摩焚きが始まる。きれいな炎が、
そして太鼓の音が参加者の眼と心に語りかける。

挙式は、Kさんの師匠M氏の仲立ちで行われた。
4畳半の小さな仏堂の中で、お二人は結婚の誓いを立てられた。
「お二人の行く末に幸いあれ」と念じていた。

高野山奥院を仏僧であるKさんが案内してくださった。
奥院の正面に向かって一番近いところ左側が天皇家ゆかりの御廟。

そして右側が近衛家の墓。その後方に、
何と元首相の池田勇人さんのお墓があった。

Kさんは言った。「池田さんは、大師信仰の深いお方だった。
病に冒されたとき、四国霊場八十八ヵ所を逆打ち(逆に巡ること)して、
病が治った。
そしてその後、常に数珠を
身につけながら仕事をし、首相にもなられたのです。」

昼の食事会の時刻となった。
料亭「花菱」の料理はとてもおいしかった。

またそして何より、集った御縁の人々の会話は天国の会食のようだった。
Kさんの師匠M氏は、来年より高野山の慣習によって
「身代大師」(弘法大師の身代り)を1年間お努めになる予定だとか。

M氏の書庫は、図書館のようだった。少し開いた扉から、
「小林秀雄全集」が微笑んでいた。

そんなM氏にたずねてみた。「今までで一番感じた方は誰ですか?」
M氏は、「それは、岡本太郎さんです。」と答えて、
「どこが感じたのですか?」の問いに、
「著者の紹介文を少し著書に書いてくださったので、
後日御礼を申し上げたら、ポカンとしていたからです。」(?)

こんなM氏はすべての話題を肩のこらないジョークでかわしながら、
雑談の中で多くの教えを下さった。

素晴らしい御庭と御堂。宿泊室。
そして密やかなおもてなしの心を感じさせる南院。

この日お祝いの気持ちからか、参加者の宿泊費一切を無料にされた
南院御住職Uさまの「慈」のこころに感じ。

新婦Nさんのご両親がすでにこの世にみえないことを案じ、
健在のご自分のご両親を式に呼ばなかったKさんの「悲」のやさしい想いを感じ。

「良かったね」「良かったね」を連発する参加者のYさんやIさんの「喜」の共感に歓び。

あるままに謙虚に今を生きる「捨」の「身代大師」M氏に学んだ一日であった。

「慈悲喜捨」Kさん、Nさんおめでとう。そして、ありがとうございます。

高野は歓びに満ちていた。