随想 伊路波村から75~あなたに誉められたくて

俳優高倉 健 さんの本の題名です。
もうずいぶん前に出版されました。

高倉健さんが10年も続けた事。
それは毎年の大晦日の午前零時に
長野善光寺をお参りすることでした。

長野県とは別にゆかりもなにもない健さんにも
何故善光寺なのかがわからなかった。

ただ続けてみようと毎年0時になると参道から入り
善光寺にお参りしたのでした。

年を重ねるにつれて大晦日に必ず健さんが善光寺に
くるといううわさがひろがりました。

大晦日には参道に人があふれるようになりました。

10年目を迎えた年。いよいよ健さんにとっての満願の年です。
あいにくその年はアメリカで映画「ブラックレイン」の撮影中でした。
「今年は行けないな」とあきらめていた健さんでした。

大晦日が近づくにつれて10年目の区切りをつけたい気持ちと、
ことしも健さんにあえると待っていてくださる人々への思いが
つのってきます。ギリギリになって映画のスタッフに理由を話し、
お参りをしたらすぐ戻るという約束で健さんは帰国。
善光寺に時間どおり間に合いました。

アメリカでの撮影をよく知っていた健さんのファンでしたが、
10年目の最後の善光寺の参道、いつもの年にも増して
多くの人々が「ウオー」という叫びとともに健さんを出迎えました。

「あなたにほめられたくて」健さんは人生をすごしました。

このお話では自分を待っていてくれるだろう人々でした。

でもほんとうに誉められたい「あなた」は健さんのお母さんでした。
お母さんに誉められたくて健さんは生きてきたのです。

はなしは自分のことに移ります。

母の口ぐせは「いい子だね」と「他人の役にたつ人間になれ」
でした。昭和50年。月給8万円の中から毎月現金書留で
一万円を母に送りました。

母が63才になって病床にいるころ、ポツリと言いました。

「おまえが送ってくれた一万円どんなに楽しみにしていただろう」
母は63才で逝きました。

子供4人を育てた借金が残されました。
3年半かかって毎月すこしづつ返しました。

だれの役にたたなくてもいい。

これでおかあちゃん安心してね。

あなたに誉められたくて自分も生きてきたのだから。