随想 伊路波村から〜空気銃と祈り 001109

空気銃と祈り 001109
2000年11月9日 記

11月1日、仕入先会社会長の葬儀のため東京に出向いた。
寒い東京だった。

浅草東本願寺。盛大な葬儀は午後3時終了した。
名古屋から参列した問屋仲間のKさんとSさんに出逢った。
一緒に帰名することにした。

ひかりの11号車に乗り込んだ。グリーンが10号車だから、
ここは居心地がいいからだ。指定をとっていなかった。ドキドキ
しながら席の埋まるのをみていた。仮に陣取った13番のABC
席だけが横浜を過ぎても指定の人はみえなかった。ラッキー。

A席が私、B席がSさん、C席がKさんと座り、宴会が始まる。
ビール、ウイスキー、酒。酔いながら名古屋まであっというまの
時間だった。
実はSさんは、3年ほど前、倉庫と事務所をほぼ
全焼という体験をされた。そしてKさんは先の名古屋西区の
都市洪水で大被害を受けられた方なのだ。まさに火と水。
まるで火水(かみ)の横におかれた凡人の私であった。
話ははずみいつも笑顔をたやさない。そしてあいさつを
率先してされる。

火のSさんの幼少期のこととなる。
彼は62歳、還暦前から赤が大好きな方で、
今日も赤のネクタイにチャッカリ喪服が似合っている。

Sさんの小学校4年の時のできごと。空気銃がはやった頃の話。
Sさんは遊んでいる時、草むらの中の同い年のこどもの頭を
誤って打ってしまった。おどろいて、その子の家に知らせに行く。
おろおろして、どうしたらいいかわからない。

親御さんが、その子の親に謝り、子供等の事件であり穏便に話し
がついたようだった。打たれた子供には重度ではないが障害が
でた。Sさんは父親に言った。「僕はあの子にどうすればいいんだ
ろう。」父は応えた。「子供のお前に何もできない。
あとはワシがやるからお前はあの子のために祈りなさい。」と。
そしてSさんは小学校4年のそのときから62歳にいたる今日迄、
仏壇に水と米を毎日そなえる。そしてその子の為に祈ってきたの
である。いつも笑顔で元気でとっても年令62歳にはみえない
Sさんにそんなことがあったのだった。

翌2日、ある集まりの二次会の寿司屋さんでこんな話をしていた。
そして翌日、この話をきいてみえたT子さんからメールを
いただいた。グッときた。
                     
 山田さんがお話された空気銃のお話を聞きながら、私は母の
 ことを思い出していました。すごく前に母がサラリと
言ったことを 自分の頭の中で膨らませてそれを事実と
思っているかもしれないので、そのとき言いませんでしたが、
今朝母に確認してわかりました。

 そしてもっといろんなことも。
 実は、母も昔、空気銃で頭を撃たれたことがあるのです。
近所の子供が 二階から遊びで撃っていたのが、
母の頭頂にあたって、気を失って倒れた そうです。
そのとき私がお腹の中にいたそうです。

(それは今日知りました)大量の出血がありそして弾が
頭に入ってしまったため手術をおこなったそうです。
 近所の人や、親戚はすごくおこったけど、相手が子供で
将来があるから ということで、父も母もおおごとに
しないようにとまわりの人に頼んだそうです。
幸い目にみえるような後遺症はありませんでした。

 随分前に母が「寒いと空気銃でうたれたところが痛いわ」と
サラっといったのを聞いてすごく驚いて、
どんなことがあったのか聞き出してもっと驚いて
「母を撃った人はなんていうやつだ!」と
すごく頭に来て、「ひどい人だね!」と私はおこってましたけど、
母はニヤニヤするだけでじれったい 気がしました。
昨日の山田さんのお話を聞いて、撃っちゃった人もすごく
苦しんでいたんだなと思いました。

そんなこんなで今朝は空気銃の話題だったのですが、
母は「あの子も何歳になったかなあ。あんたよりも年上だわ。
今何やってるかなあ」と言っていました。
T子拝