近くて、近いぞ、台湾

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三重県津市 赤塚高仁さまより
台北から華蓮まで三時間、列車に揺られながら、車窓を流れる風景を
眺めていた。台湾では、自動車は道路の右側を走る。しかし、鉄道は
左側通行。不思議に思ってガイドの謝さんに聞いてみた。
謝さんは、日本語の堪能な独身女性。彼女は流暢な日本語でこう答えた。
「日本が台湾を統治していたときに鉄道を敷いてくれたのです。だか
 ら、日本と同じ左側通行なのです。」
「敷いてくれた?」私は聞き返した。
「鉄道だけではありません。治水工事、電気の普及、上下水道の整備
 など、近代台湾のインフラ作りのほとんどが日本統治時代になされ
 ています。」


私は、驚いた。私たちは、日本が台湾を植民地にして好き勝手に略奪、
虐殺したと教えられていたからである。
何せ台湾でも、韓国や中国で感じた反日感情の波動の中を旅するもの
だと自虐的な覚悟をしていただけに、意外な思いで話を聞いた。
1895年、日清戦争に勝利した日本に清は台湾を譲り渡した。
日本は、この台湾を内地と同じ、いやそれ以上の情熱を注いで、近代
化していったのである。植民地を持って初めて、一等国と考えられて
いた帝国主義の時代にあって、西欧諸国にとって植民地とは、搾取す
る土地に過ぎなかった。しかし、日本は真面目に、熱心に大金を注ぎ
込んで、五十年間がんばったのである。
マラリアなどの風土病の島、台湾に病院を建設し、多くの医師を派遣
して病の根絶につとめたのは日本。
台湾に蔓延していたアヘン中毒を、撲滅したのも日本。
日本統治の五十年間で台湾の児童就学率は93%にも達し、日本語は
台湾の共通語となった。学校を作り、教育を持ち込んだのも日本。今
でも60歳以上の台湾の人たちは、見事な日本語を話す。
1945年、日本は大東亜戦争に敗戦。日本が台湾から引き揚げたあ
と大陸からやってきた中国国民党。現在の台湾人口の16%にあたる
「外省人」がそれである。
外省人は、台湾人を「本省人」と呼んで差別し、日本語を禁止して北
京語を公用語とした。二年後の2・28事件では国民党軍は、わずか
二週間で2万8千人もの本省人を虐殺したという。
本省人である謝さんは続けてこう言った。
「私のお母さんは、私が日本人と結婚するのは喜びます。でも、外省
 人とは絶対結婚許しません。私、日本人と結婚したいね。」
あたかも中国の一部であるかのように思わされている台湾。しかし台
湾は、一度も中国に支配されていない。
台湾の教育の中で、日本統治時代の記述は、「日本軍による虐殺、略
奪、放火、暴行」の列挙だという。これはひどい。それらは中国人が
台湾に対して行った行為ではないか。中国の反日教育のためのウソだ。
日本の教科書に中国、韓国からも文句ばかり言われて全くうんざりし
ていたが、いい加減に日本も祖国に誇りと自信を持とう。
きちんと言い返してくれ、外相よ。西欧のどの国もやらなかった素晴
らしい植民地政策をしていたのだから。
台湾から見えたわが祖国日本はすごい国だった。
台北市内、士林のナイトマーケットは若者があふれ、夜通し賑わう。
街中に日本語の看板が氾濫し、日本のアイドルのグッズが飛ぶように
売れてゆく。
そんな若者たちに最高の誉め言葉がある。
「日本人みたい」
近くて近いぞ、台湾は。