しなくてはならないことは一つもなく。
してはならないことも一つもありません。
ただ突き動かされるままに書き留める作業が
続いています。
いつ止むかもしれないこと。
肉が動き、それが正常に働くことだけを
たよりに、動かされています。
「実相とは何か」
これは人生のテーマそのもの。
どなたでも人間っていったい何だろうと
あらゆる体験の中から考えたことはあるのでしょう。
もしないとしたら、人間ではないのかも。?
そしてそこからもっと考えて、このいま生かされている世界って
何なんだろうと考えたのかも知れません。
こちらにとってはそれは「今」という永遠のテーマです。
現実かのように感じられる。五感そして官能。
このはかない感覚にどうしても捕まる人間です。
でも時としてすべての感官をはるかに抜き超えた
感覚が全体を覆います。
それは時を忘れた感動、そして震えです。
言葉、音楽、集中、聞こえ、無さまざまなシーンが
与える感覚は尊く、生かされている醍醐味でもあります。
実相は「知られざるもの」
実相は「創造されざるもの」
そして実相は「原因なき原因」
今朝はある方からの早朝からの長いお言葉メールに
霊が共振し、大きな感慨を与えられました。
どこまで行ってもわからない実相世界は
ただ「現実の只中にある」
この確信はまるで森信三先生のことばそのものです。
毎日明るくあいさつし、はっきりと物を言い。
ものを大切にし、すべてを分け隔てなく慈しむ。
ただそのことを行為実践する。
彼女は何を見るのでしょうか。
続ける行為が実相世界への扉を開けるのでしょうか。
なにもなにも分離していない。
そのことを行為する。
ただ行為する。
飯島さんとは、ふたりだけでいるときはこの
実相世界の発現を自然法則という真理、生命という真理からの
現象であり、幻想でもある世界への現われと語り合っていました。
見つめても見つめても見つめきれない実相。
いつもあって決して離れることのない生命。
汚れた自分の目を覚ますかのような
今朝の「メール」が、普通の「愛と慈しみの行為」の連続が
実相への道だよとささやいていました。
涙の彼岸です。