人間は誰でもどんなことを考えてもいいという
自由意思を与えられている。
右に行こうと思って左に行く人はいない。
(たまにいるかも)
そして思うことを考えたように行うことも
できる。思った通りになるは真理。
自由が隷属だと考えている者は病んでいる。
30歳で再び会社を組織し事業を再興できてから
ずっと考えていた自由意思。
いつでも「これではない」。
そして40年というこの世の時間を
経過して、これこれ、という領域に入っている。
「これではない」と感じながら、それを続ける
苦しさは、はかない努力のように感じる。
むしろ生命への冒涜の感すらある。
私とは誰か。
私は物質を生み出し、蓄えこの世の豊かさを
享受するために生まれて来たのか。
それを創造というのか。
それとも私は真の創造をするために生まれ出たのか。
真の創造とはなにか。
分離が起こる前までは何も欠けていなかった。
必要というものは全く存在していなかった。
では何を創造するのか。
「喜び」と「平安」と「慈しみ」の回復が
真の創造なのだろうか。
天の道はごく単純かもしれない。