人生にはいろいろあります。
憎み合うどおしが一緒にいなければならない。
親子、兄弟や夫婦、友達。
毎日暗く沈んだ闇の中で暮らさなくてはならない
人生の渦中にある人。
毎日いやな上司に会わなくてはならない職場。
気の合わない人と仕事をしている会社。
会うたびにいじめる人。
どうしてこんな人生なのだろうかと
人生について呪う気持ちが溢れる人。
人間は二つの世界を同時に見ることは
できないようになっています。
憎みながら愛することは出来ません。
だから自我と霊(愛)は互いのことを知らないようです。
そして永続するものと実在しない物とはまた互いを知りません。
人間の使命とはなんでしょうか。
それは極めて単純なもの。
自分が自我ではないということを実証すること。
そのためには一人ではできないようです。
人は誰も一人では癒されません。
兄弟とともに自分は自我ではないと実証すれば
それは実相世界の延長となります。
それは使命といえます。
悩みや憎しみの世界に沈んだ時が自我の餌です。
そばに来る憎き人がもっともあなたを正気に
導く兄弟のようです。
あなたにとってとても尊い存在です。
とてもそんな風には思えないでしょうけれど。
ある能力開発のセミナーでは
人生のできごとは「必然」か「偶然」かを
各グループで大きな声で論破しあうセッションがあります。
いずれのグループも「必然」主張に軍配が上がります。
悔しいかもしれませんが、人生のできごとは
あなたにとって必然のようなのです。
赦しには代償がなく、
与えるがゆえに与えられるのでしょう。
無為な想念なんてなく、すべての思考は
何らかのレベルで形を現します。
やってみればわかります。
「世界を変えようとせず、世界に関するあなたの心を
変化させることを選びなさい」
「あなたが悲しんでいるとき
こうである必要はないと知りなさい」