父親のいない家

記憶にあるうちには一度も父親と一つ屋根の下で
眠ったことのない体験の人生です。

家には学校から戻るともちろん誰もいない。
三歳下の妹がいたりはしますが、記憶にないです。

だからなんでも自分でやる癖がついて、
その頃共同炊事場の水道があるところで
お米をかしたり、洗濯板で洗濯をしたり、
また洗濯物を干したりしました。

だからまだ絞るのは手回しでしたが、
電気洗濯機が家に来たときは大喜び。
洗濯がなお好きになりました。

父親がいないということは自分の自由を
縛る人がいないということです。

母親からは叱られたことの記憶がない。
一度だけ叱られたわけではないですが
すこし大人になって青年の時に、友人のS君と
家にいながら一言も会話をしないことに、
「S君ともっと話をしなければ。」といさめられました。

でもS君と何も話さなくても別に幸せでした。
S君はいつも静かでその静かさが自分にないところでしたから。

S君は31歳で天に還りました。

そんなわけで父母ともからフタをされた記憶がない
幼少期でした。
だからこんな風に自由人になってしまったのか。(笑)

ただ小学校になって強烈な家庭教師が
現れました。それは兄です。
なかなか厳しくて、漢字ができないとビンタが飛びました。

だからビンタを避けるために勉強しました。
ただビンタを避けるためだけにです。
でも学びの勢いがついてその後に影響がありました。

今亡くなった兄貴にお礼を言っています。

そんな幼少期だったので、もちろん自分のところに
来てくださった四人の子供たちはほぼ放し飼い状態。
子供たちにはそれぞれに人生の岐路に立った時や、
すこし迷って道を外そうとしたときもあったようですが、
「好きにすればいい」がいつもの言葉でした。
ただ親としての立場だけの時にはですが。

逆縁の長女だけとは一緒に人生を学びました。
人生の同伴者となりました。

みんな現実から次々に消えていきました。

みんな消えても、花だけは咲き続けています。

お隣のおばあちゃんは8年前に亡くなりましたが
薄いピンクのむくげは散歩道にずっとあります。

今朝、子供は自由に、フタをしないようにと
すべての親に祈りました。