神の使者から奇跡の道へ その5~真の癒し手は患者の心です

「真の癒し手は患者の心です」

心が解放出来たら、病気は消えるのでしょう。

癒しとは神を認めること。
神という言葉が、チョット・・・と思われる方は、
神と言う言葉を「無限」とか「完全」とか「全一」
とかに置き換えてみれば意味が通ります。

神なんてないと思う方は、あなたが
「無限」でも「完全」でも「全一」でもないと
信じていますね。

まさかですね。
自分は自分で他人がいて完全に他人とは
異なる者だと。

まさに自我が喜びますね。

この11月22日の夕方、GOTOで大賑わいの
京都にいました。
京都の友人Tさんが天に還りました。
通夜でした。

Tさんはご家族や多くの方々のために
純粋なお心で、介護したりアドバイスしたりの
実践をされた素晴らしい女性でした。
まだたしかこの世の年齢で50歳近くでした。

11月20日亡くなられたとお知らせが
参りました。
ところが10月20日のこちらの家庭での晩酌時に
突然に涙が吹き出てまいりました。
「K子さんが死んでしまう・・・。」と
突然に一人で泣きむせぶ姿にさぞや家内は
驚いたことと思います。

そのことより以前に2か月間にわたって
Tさんとの交信があって、主に意識のことを
中心にこの世界の実相について話し合って
いたのでした。

そしてもちろんエネルギー不足を補うために
テネモス関連の情報や機器や品物も
お見舞いにとお送りさせていただいたのです。

実は家庭でのその出来事がある前の10日間ほどは
連絡がなく、症状が落ち着いたのだと安どしていたのですが、
三日ほど後に京都の別のTさんと親しい方に
連絡を取ってみました。

「ついお先日ご主人にお会いしましたが、
状態に変化はないと聞きました。」とのお返事でした。

ですがまさしく10月20日からきっかり一か月が
経過した11月20日に天に還られたとお姉さまから
連絡いただいたのです。

10月にはきっとお礼にTさんが来てくださったのだと
もしかしたらと、その時も思いましたが、確信に
なりました。

通夜の受付で参列名簿に名前を書き始めたら、
山田・・・と書いたところで、心が一杯になって
その後が書けません。

「山田さん・・・ もうそのままでいいですから。」と
お姉さん。

葬儀の涙は今までのどなたよりもいっぱい。
きっとこちらの身体を借りてTさんが涙を
流されたのだと思いました。

人間は病で死ぬのではない。
その時が来たのだと感じさせます。

自我は病気や死という現象を切り札として
人間に自我の実在を叫びます。
分離の実証をしようとします。

心がすべて。

心が体という現象を生み出します。
痛みも苦しみも。

私たちは一度も分離していない。
T子さんはきっとわかったと感じます。
それが膨大な涙の証でした。
誰一人としてそのことがわからずに
身体を離れる人はいませんから。

Tさんありがとう。

「真の癒し手は患者の心です」