ただ一つのものを拝せよとは

神の使者から奇跡の道へを突き動かされるままに
書き続けています。

ここにきてさまざまな感想が届いています。
「アメージングジャーニー」は奇跡の意味を
告げています。
そして誰もが神の使者になれることも。
「赦し」が大きなカギであることも。

目にする幻想の現実はとても幻想とは思えないけれど、
そして「アメージングジャーニー」の主人公の
男性が自らの娘が事件に巻き込まれ、肉体を
失うことで、とても「神」を信じられないどころか、
そんなものがどこにあるのかと叱責することに
共感を覚える人の方が圧倒的に多いことでしょう。

肉体を失った人が、そして自分が殺害した人が
みんなそこに「在る」ことを信じられないことと
映画の世界だからと、理解するしか納得する方法は
ないかに思えます。

映画は時間や空間さえ幻想と思わせますが、
長い間現実という世界にあってさまざまな想念を
いだき、自分の判断基準で現実という幻想を裁いて
生きてきた人間にとってそれはとても確信できることでは
ありません。

しかし時間、空間が幻想だとしたら、もちろん過去現在未来も
また幻想ですから、すべては今という一瞬間に
同時に起きていて、宇宙は常に0であるとの確信も
持てることでしょう。

そしてすべては想念が決断した影だと「今」を
認識出来たら、私たちがどのように人生を送ったら
歓喜と平安に満ちた人生を送れるのかのヒントを得ます。

なかなかこびりついた自我から脱却できない人間。
それどころかそんな夢のような世界観で生きるなんて
つまらない、せっかく生まれ出たのだから人生を
人間らしく、自我優先で楽しく生きればいいではないかと思う方も
いらっしゃると感じます。

「知っているは至らず、知らないは至る」

この言葉の意味はなかなか深いです。
知っているよと言えることはできないからでしょうか。
知らず、わからないということはとても自我想念で
語ることができないモノなのかもわかりません。

比較できないもの。
及びもつかないもの。

この混迷するかのような丁度良い0の世界から
もしかしてただ「在る」世界観に至る幻想の世が
「今」近づいている感じがします。

一つしかないもの。
決して分離していないもの。
そのことの実感が近づいています。
多くの方々が気づくかも。

2021年という「今」。
正邪をはるかに抜き超えた融合が訪れるのでしょうか。
支配されたいと願う想念が、支配したいという想念と
0となり、幻想を生みます。
自立、解放の時。
戦いの解放の道への始まりです。

幸せや平安を求めて生きる必要はないように感じます。

もともとすべてが幸せで平安だからです。

あなたもそうです。