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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月15日の記事「許し」と2021年02月16日の「当たり前の中の幸せ」の2つを紹介します。
許し
もしかしたら、子供や家族、会社の同僚、友人の誰かを「許せない」と思ったりしていませんか?
自分の思い通り(期待していた通り)に、動いてくれないとか、自分の価値観だけで判断し、相手の言動を許せず、憎んだり不平を言ったり、イライラしていませんか?
でも、でもその人も、彼女なりに・・・一生懸命に、生きているのではないですか?
私達の見えないところにご家族もいて歯を食いしばって、一生懸命に生きている人ではないですか?
今日のテーマは「許し」です。許すこと
人は
・許されること、
・そして信頼されること
そのことで、どんなに心が救われることでしょう。許してくれた人から受け取った大きな愛を、また周りの人々にどんどん広めていくことができるでしょう。
私たちの内に、全員の胸に居らっしゃる神さまは決して罰しません。根気強く私たちを見守り、そして許し続けています。
それはまるで、放蕩息子の帰りを全力で喜び迎えた父、神の気持ちと同じです。私たちは、共に許し、許されそして、愛し愛されて生きていく仲間同士です。
私たちは、常に振動しています。私たちだけではありません。存在するもの全てに振動があります。波動を発しています。これを固有振動数と言います。
バシャールなどの知的生命体の情報では私たち人間は、平均値で1秒間に7万6000回、波長の高い方(意識レベルの高い方)で18万回。肉体を脱いでしまえば、束縛するものが減りますので、1秒間に33万3000回位なのだそうです。
意識状態によって、これは常に変化しています。変化していくことで、波長の法則の通り、
繋がってくる世界も無限に変化します。
・見える物質的な世界
・一般的な神々の世界、霊的な世界
・心の世界
私たちを取り巻く世界は、全て自分の心が映す世界・・ですので、心の波長が見える世界、取り巻く世界を変えてしまいます。
龍の姿を見て、お酒や、生卵を要求していると感じる方がいるかもしれません。 その同じ龍を高貴な魂の龍と認識する人もいるかもしれません。
同じものを見ているようで、心の波長により、繋がる世界、認識できる世界は様々です。
私たち人間は、基本的に神々と同じに作られています。ですから、神々が全ての次元に存在するように人間も、無限の波長領域に存在できます。
また、神々が全ての空間に存在するように人間も全ての空間に、遍満して存在しています。 私たちの現在の波長と、フォーカスしている場所によって接触できる神々の波長も決まってきます。
自分自身の信念体系に縛られた時空に生きている人は、地獄的な低い振動数で同じ神さまを見ても、自由度の低い、束縛する神々と繋がることでしょう。
あなたの神さまは
・祟りをもたらす神さまですか?
・お金や、物を要求する神さまですか?
・些細なことで、お怒りになる神さまですか?
・無知ゆえの失礼を、許してくれない神様ですか?
人の数だけ、波長の言違いがあります。人の数だけ、信じる神様の姿、性格が異なります。
自分が正しくあなたのは、誤り・・そんなことを断言する資格は、、、誰にもないのかもしれません。私たちの内に居らっしゃる神さまは許しの神さまです。
イエスは「何度許せばいいのか?」と質問された時、「7の70倍」と答えています。私も、そんな許しの、愛の神さまといつも、繋がっていたいと思います。
あなたは、どんな神さまと繋がっていたいですか?
その神さまは、ご自分の心のありさまの通り、同じ波長の神様であることでしょう。
神界から来た 言向命(ことむけのみこと) 相曽誠治さん(佐藤愛子さんの私の遺言より)
当たり前の中の幸せ
今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで前ノートルダム清心女子大学の学長だった
渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった一人の卒業生の言葉を皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。その人は、在学中、健康そのものの人でした。それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。その中に、こう書いてあったのです。
「ようやく外出許可がいただけました。久しぶりに地面を踏んだ時は、感激でした。
今の私には、当たり前が輝いてみえます」
この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。
当たり前が輝いてみえる。そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。
今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。
幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、心が満たされている状態といっていいでしょう。
ですから、幸せを願う人たちは、
・たやすく愛せる人を探し、
・やりがいのある仕事を求め、
・そして、すてきなもの、
・すばらしいもので、
自分のまわりを囲みたいと願っています。今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、
そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。
では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。なぜでしょう。
星の王子さまが答えを出しています。
「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」
「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、…自分たちがなにが欲しいのか、
わらからずにいるんだ」。
そして続けていうんです。
「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、少しの水にだって、あるんだがなあ…」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。
信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ
たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。
なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。
そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。
<引用終了>
今日の日本は、
・物質的で、派手な物
・目立つ物
・過激な物
を、如何にも魅力的なものと錯覚させお金さえあれば手にすることができる。
・お金を稼げ
・お金が全て
・お金さえあれば、何でもできる
・人がうらやんでくれる
そんなことを、煽っているように見えます。
その宣伝、戦略に多くの人が乗せられそれが本当の幸せと錯覚し、
・今だけ
・金だけ
・自分だけ
そんな心になってしまっているのかもしれません。お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほどそれは、どんどん遠ざかって行きます。そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせかん)にさいなまされ、いつかは、純粋だった心を閉ざしてしまうことでしょう。
元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか?
どこか遠くにあったのでしょうか?
お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか?
それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか?
もしかしたら、私たちの幸せは元々、私たちの心の中にあって、それに私たちが気付いてくれるのをずっと待っていたのかもしれないですね。
大切な物は、見えない・・それが、本当のことかもしれませんね。