「イルミナティ綱領」 奥の院通信 R3 2/27

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-489.html

アダム・ワイスハウプトが要求したイルミナティの5つの綱領の4番目は、「家族と結婚制度を撤廃し、更に子供のコンミューン教育の実現」であった。

 コンミューン教育は赤化教育である。唯物思想をたたき込むのである。目に見え耳に聞こえ、手に触ることが出来る物だけの世界しかないと教育する。心や魂や死後の世界を認めない。ユダヤ人にとっては、非ユダヤ人はゴイム(豚・獣)であるから、この思想は当然の帰結である。豚・獣には心はないとするからである。

 「家族と結婚制度を撤廃」とあるが、これは先の大戦までは、実現させなかった。家という制度はそのまま残り、大きな変化はなかった。相続も長男相続で、姓も男子の姓を称した。大きく変化したのは先の大戦が終わったときであった。戦後は家というものをなくした。家長という概念をなくした。相続も均分相続として、イルミナティの要求するところのものを受け入れた。

 かつて日本は、明治の初め文明開化と称して開国し、多くのお雇い外国人を高給で雇い入れた。そして、欧米文明を取り入れ、学校を作り、その最初で最高の大学として東京帝国大学を作った。開校して10年くらい経ったとき、明治天皇がこの東京帝国大学に行幸され、そこで教えられている授業のカリキュラムをご覧になって、「ここでの教育は、物を対象とした学問だけだね。心を対象とした学問というものはないのだね。」と感想を述べられた。つまり、ここでの学問は科学のみということである。自然科学だけでなく、それ以外のものも、社会科学、人文科学とし、心や魂も含めすべて科学とする。心も魂も物とみるのである。

 確かに、それまでの幕府の学問所で教えられるものは、四書五経を中心とした朱子学だけであった。そこでは、人間の精神を研究する学問だけであったと言える。ところが、明治の初期からは、それが文明開化と称して、すべて捨てられ、科学だけの教育となった。心を対象とする学問も、心理学として心を物とみての学問となった。明治天皇はそれを指摘されたのであった。当時はまだ今と違って、この天皇のお言葉を理解できたので、大騒動になった。そして、学校教育に修身が導入され、小学校から修身を教えるようになった。

 その上で、明治23年10月30日に教育勅語が発布された。そして、これを学校教育の原点とした。しかし、先の大戦後はこの教育勅語は弊履の如く捨てられ、今では知る人も少ない。これは、最初はGHQの命令で廃止させられたのであろうが、占領が解けた後も復活することはなかった。既にイルミナティの代理人が育っていたのである。少なくとも修身と共に、学校教育の現場からは消えた。消えただけではなく、教育勅語や修身教育を口にしただけで、右翼と罵られる始末である。そして、右翼という言葉の魔力によって、「教育勅語」や「修身教育」が良いとか悪いとかの中身に立ち入る必要がなく、静かに消えていった。従って、この「子供のコンミューン教育の実現」というイルミナティの綱領は、戦後は完全に遵守されることになった。イルミナティの綱領が教育に関しては完全に守られている。

 我が国日本では、明治の文明開化で、家族制度と教育は半ばイルミナティの綱領を受け入れ、先の大戦後は完全に受け入れることになった。その意味では日本はディープステートによって支配される国家となっている。ディープステートの要求する教育を受け入れたから、彼らの支配する国家となった。それを実施しているのが文科省であり、大学教授陣、学校教師らである。

 昭和30年から同41年まで衆議院議員を務めた志賀義雄(大阪選出・共産党)が、「教科書さえ我々が作れば暴力革命の必要はない、30年後には暴力革命によるのと同じ結果が得られる」と言ったが、その通りになった。志賀義雄は、ワイスハウプトが綱領で要求したコンミューン教育を、進んで取り入れた日本のディープステートのひとりであった。