「天使たち」 自分で自分を自分する R 3 2/28

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今回は「いっぷくからありがとう」の2021年02月24日の記事を紹介します。

地上に降りた天使たち

今日は病気で生まれた子供たちのお話です。以前書いたこともありましたが、加筆して掲載します。「もう読んだよ」って方は、遠慮なくスルーされてくださいませ。

早くに亡くなる子供たちは、とても大切な事を、両親や周りの人々に伝えるという役目を担って生まれてくることが多いようです。

その生きざまは、まるで「地上に降りた天使」のようです。

「おかあさん、もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。わかった?」

そんな言葉を残し、9歳でガンで亡くなった山崎直也くんのお話です。

<転載開始> 転載元 

 1992年3月18日、神奈川県に生まれた山崎直也君。お父さんっ子で元気でわんぱく。

どこにでもいるようなごく普通の男の子でした。あの病魔に襲われるまでは…

5歳の直也君を襲った病魔、それはユーイング肉腫と呼ばれる悪性のがんでした。手術で腫瘍は切除されましたが、抗がん剤の副作用に苦しむ日々が続きました。

ユーイング肉腫は10万人に1人と呼ばれる難病。骨のがんのため転移しやすく、再発を防ぐために強い放射線と抗がん剤での治療が必要だったのです。一時は学校に通えるまでに回復しました。しかし、その後も直也君は再発と手術を繰り返します。

 そんな彼をそばでいつも支えていたのは、母親の敏子さんでした。

痛みに耐えながらも一生懸命病と戦う我が子を見て、「代われるなら変わってあげたい」と言っていた敏子さん。

しかし…でも直也はそのたびに力を込めて、『ダメだよ』とかぶりをふり、『ナオでいいんだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない。お母さんじゃ無理だよ』きっぱりとそういうのです。

自分が一番苦しいはずの直也君は弱音を吐くどころか、必死でお母さんを気遣って励まそうとしていたのです。

しかし、そんな直也君の頑張りとは裏腹に、病状はさらに悪化。そして2001年6月、がんはついに骨髄に転移してしまいます。それは全身にがんが転移したこと、そしてもうなす術が無いことを意味していました。

 痛みは日を追うごとに激しくなり、それでも生きることを信じて、直也くんは手術を求めます。しかし、もはや医師達にできることはモルヒネを投与して痛みを和らげることだけでした。やがて器官が炎症を起こし気道を圧迫、呼吸困難の発作が直也くんを襲います。

全身を震わせ、身をよじらせて苦しむ息子の姿。母の敏子さんはパニックに陥り、泣きながら主治医を探しました。もうダメかもしれない…

 幸い直也君は持ち直すことができましたが、発作が少し収まった時、医師からの宣告が、

「もってあと半日…」病室に戻って気丈に振る舞おうとする母。

その時、直也君は9歳の少年とは思えない力強い言葉を発したのです。あの日、息苦しさが少し収まってから、直也はこうもいいました。

『おかあさん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょ。

だからナオ、がんばったんだよ。それでも苦しかったけど。

おかあさんがナオのためにしてくれたこと、ナオはちゃんとわかっていたよ。

「先生早く!」って叫んでいたよね。でも安心して。ナオはああいう死に方はしないから。

ナオはおじいさんになるまで生きたいんだ。おじいさんになるまで生きるんだ。

頑張れば、最後は必ず幸せになれるんだ。

苦しいことがあったけど、最後は必ず大丈夫』

命の瀬戸際で、痛みに耐えながらも、直也くんはお母さんを安心させようとしていたのです。

 2001年7月2日、直也君は静かに息を引き取りました。医師の「あと半日」という宣告から、2週間が経っていました。

直也くんが入院中、看護士に言った言葉があります。

「あのね ナオは今死ねないんだよ。お母さんの心の準備が出来ていないから、今はまだ死ねないんだよ」

旅立つには、家族にもう少し時間が必要だということを悟っていたのでしょうか。

 5歳で発病し、その後5度の再発、4度の手術を経て、9歳という短い生涯を閉じた直也君。亡くなった直後は涙を流さなかったという敏子さん。

それは、死の直前に直也くんがこんな言葉を残していたから。

「もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。」

「身は滅びても命は永遠だよ」

そして2007年、ある一冊の本が出版されました。

『がんばれば、幸せになれるよ』と題されたこの本は、小児がんと闘った少年が遺した言葉の数々を、母である敏子さんが綴ったもの。

 病床にあっても家族への思いやりを忘れず、辛い治療に耐えながらも生きることを決して諦めなかった9歳の少年。子どもとは思えないほど優しく力強い言葉に、多くの人が心を打たれました。

 母敏子さんの手記は新聞やテレビでも話題になり、全国の人々が直也くんの言葉に勇気と励ましをもらい、「生きるということの大切さ」を教わりました。

 生きることに対する執念、家族への愛情にあふれる直也くんの言葉の数々は、どれも深く心に響きます。

<転載終了>

 本当に、天使のような子供ですね。でも見た目は子供でも、その心は神さまに近い、気高く高貴な魂なのでしょう。

 私たち人間は生まれる前に、人生の全てのストーリーを決めて生まれてくるわけですから、この山崎直也くんも、肉体の状態は辛く苦しいものであっても、それに耐え、生まれて来た目的を達成して光の国に帰ったのだと思います。

 それでは、私たちが生まれる前に、全ての人生に起こる出来事を神さまと共に決めてから生まれて来たということを知って頂くために、中間世記憶(生まれる前の天国での記憶)を持つもう一人の子供のお話をご紹介します。

 理生くんは、2001年8月18日東京生まれ。不整脈のため、34週で緊急帝王切開により誕生。3歳でペースメーカー埋めこみ、10歳でカテーテルアブレーション術をおこなう。

慢性肺疾患、喘息により、9歳まで在宅酸素療法。

<転載開始> 転載元 

「おなかの中にいるとき、心臓がドキドキしちゃったのは、そのほうがおもしろいと思ったから。おなかから出るときは、神さまが『早く出ないと、大きくなれないよ』っていった。

引っ張り出されるだけだから、怖くなかった。痛くなかった。でも、息が苦しくなるのは、決めていなかった。喘息になるのは、決めてきた。だって、治すのが、おもしろいからね。

ママ、ごめんね。」

「赤ちゃんが病気のときは、『苦もあれば、後から楽もある』ということを、神さまが、伝えてくれている。だから、心配しなくていい。大丈夫。赤ちゃんが生まれたおうちには、必ず、楽がある。というか、生きているものには、必ず、楽がある。」

「赤ちゃんは、どのお母さんにするか、どんな体にするか、どんな性格になるか、自分で決めて、生まれてくるのが、ふつうだよ。

ぼくが病気で生まれたのは、病気で生まれる子や、お母さんたちを、励ますため。だから、ママは、ぼくの言葉を、みんなに教えていい。」

「ぼくは、病気だったから、幸せなんだ。ぼくは、病気だったから、心の言葉が話せるんだ。

だから、いつか、心の幸せを配るサンタさんになるんだ。」

「ぼくは、自分が大好きだ。自分の体が、大好きだ。自分の体、ありがとう。」

「生まれる前ね、神さまと約束した。ママといっぱい話すって。」

<転載終了>

 私たちは、目的を明確に持ってこの世に生まれてきました。その目的を達成するために、時には重い病気や障害を持って生まれてくることもあります。

早くに亡くなることもあります。

また、時限スイッチのように、ある時期になるとカチっとスイッチが入り、病気などが発症することがあるようです。

それらは辛く厳しい道ですが、全ては自分の魂の成長のため、人の役に立とうと言う崇高な目的のためです。

 そのためには痛いとか、苦しいとか、みじめだとか、哀しいとか、およそ私たち生きている人間が持つ感情は、二の次に置かれるようです。

ですが、そうまでしても、私たち人間の人生には、生き抜いていくに値する、大きな価値があるのかもしれません。

 それが私たちが生まれる前に神さまと交わした、「神様との約束」かもしれませんね。