2517「浦島太郎と黄泉の国」2021.11.15 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月09日の記事を紹介します。

「浦島太郎と黄泉の国」

今日は珍しい切り口で神の国と、人間の世界について書きたいと思います。

春日大社の元宮司、神道の最上階(浄階)まで行かれた葉室頼昭さんのお言葉を基にご紹介します。

日本神道では

神さまや先祖の皆さんがいらっしゃる国を、「黄泉の国」(よみのくに)

そして私たちが肉体を持って生きているこの世界を「現世」(うつしよ)

と呼びます。
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2516「秦唐衆」(ヤタガラス)とDS「清和会」2021.11.14 自分で自分を自分するから

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今回は「宇宙の中心で、愛を叫ぶ」さんの2021年11月9日の記事を紹介します。

https://ameblo.jp/riyanmichaki/

「秦唐衆」(ヤタガラス)とDS「清和会」

こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

今回もブログインタビュー、早速、本題に入らせていただきます。

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ラマナ・マハルシとの対話より 31ー1 「シーヴァ・ナディとは・・」

1939年1月23日~28日 対話616(59才)

質問者

シーヴァ・ナディとは実体があるものなのでしょうか?それとも想像の産物なのでしょうか?
(シーヴァ・ナディ 個人の魂の霊的な神経経路)

マハルシ

ヨーギーたちはジーヴァ・ナディー、アートマ・ナディー、パラー・ナディーと呼ばれるナディー(霊的な神経経路)が存在すると言っています。「ウパニシャド」はそこから幾千ものナディーが派生するセンターがあると述べています。ある人はそのようなセンターは脳に位置すると言い、別の人は別のセンターに位置すると言います。
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ラマナ・マハルシとの対話より 31ー2 

つづき

今もなお内在する潜在的傾向がサマーディの静寂を妨げないようにするには、生来のヴァーサナーを根絶しなければならないのです。そのためヨーギーはクンダリーニーを(スシュムナーの延長でしかない)ジーヴァー・ナディーと呼ばれる経路を通してサハスラーラーからハートへと降ろします。このようにスシュムナーは曲線を描きます。それは太陽神経叢から始まり、脊椎を通って脳に昇りつめ、そこから曲がって降りて行き、ハートの中に到達するのです。ヨーギーがハートに達したとき、サマーディは永久的なものになります。これでハートこそが最終センターであることが理解できるでしょう。
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2515「神さまの微笑み」2021.11.13 自分で自分を自分するから

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 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月08日の記事を紹介します。

「神さまの微笑み」

縄文の昔から、日本人は、全ての中に神様を見出してきました。

私も、特定の宗教には入っていませんが神様の存在を確信しています。

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2514「幼き天使 」2021.11.12 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月07日の記事を紹介します。

「幼き天使」

素直で謙虚な心で周りを見渡してみれば、神々はどこにでもいらっしゃいます。

・人の心の中

・目立たなくても精一杯、今を喜び花を咲かせる植物たち

・人間を信じ切った瞳で見つめてくれる動物たち

・さえずる小鳥たち

・元気を出してというかのように周りを飛んでくれる蝶々、トンボ

・いろんな表情を見せてくれる大空の雲

今日の神の山 天空農園
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ラマナ・マハルシとの対話より 31ー3

つづき

 それゆえ探求者の目的は、ハートからヴァーサナーという水を捨て去って、永遠なる意識の光がいかなる反映にも妨げられないようにすることにあるのです。これは自我の源を探り、ハートの中へと潜って行くことで到達されます。これが真我実現のための直接的な方法です。この方法を選んだ者は、ナディーや脳、スシュムナー、パラーナディ、クンダリーニ、プラーナーヤーマ、チャクラといったことについて心配する必要はまったくありません。
 真我がどこか他のところからやってきて、頭頂から身体の中に入るわけではありません。真我はただあるままに在るのです。それは常に輝き、常に不動で、揺らぐことも変わることもありません。変化はハートに宿る真我に初めから備わったものではありません。真我は太陽のように、自ら輝いており、変化はその輝きの中に見られるのです。
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