今を見て
悲しまないでください
恐れないでください
わたしが出逢った お父さん お母さん
しっかり生きているので 安心なさってください
わたしが出逢った 娘よ いまも元気だから
安らかにしていてください
今度の旅で出逢った 友だちよ
君のことは 決して忘れないから また逢おうね
決して忘れないから
わたしを地上に出した わたくしよ
あなたに与えられたことは
与えることが叶ったので
どうぞ平安にいてください
今もまだ 旅は続いています
そしてこれからも
永遠に・・・

再生大和 霞の中にて活動する
今を見て
悲しまないでください
恐れないでください
わたしが出逢った お父さん お母さん
しっかり生きているので 安心なさってください
わたしが出逢った 娘よ いまも元気だから
安らかにしていてください
今度の旅で出逢った 友だちよ
君のことは 決して忘れないから また逢おうね
決して忘れないから
わたしを地上に出した わたくしよ
あなたに与えられたことは
与えることが叶ったので
どうぞ平安にいてください
今もまだ 旅は続いています
そしてこれからも
永遠に・・・
「あなたが見ている世界は、あなたが自分に
下した裁きに他ならない。それはまったく
そこには存在しない」
世界は存在しない。?
そうだとしたら、その幻想という世界は
なにゆえ幻想としてでも見えるのでしょう。
それは心の影。?
とうことはすなわち自分の心が
判断し裁いた影でしょうか。
「判断することも、裁くこともできない」のにです。
目の前に現れる兄弟も、もちろん心の影だとしたら、
兄弟に対して裁いてしまったことを赦すしか。
「兄弟に対する自分の赦しが、自分たち二人だけの
ためにしか役立たないと考えてはならない」
心の影だったところを抜けて、新しい世界の
全てが各々の二人一組になった者たちの手の中にある
らしいので、つながりあうという奇跡の一つひとつが、
永遠の世界への強力な前触れとなるようです。
奇跡へのカギはもちろん赦しですね。
「あなたが見ている世界は、あなたが自分に
下した裁きに他ならない。それはまったく
そこには存在しない」
ちなみにMRC-5は14週の男性胎児の肺から
MRC-9は15週の女性胎児のそれからの由来です。
https://youtu.be/fv3MaXOUn7Y
「あなたの兄弟を罪なき者と見ながら、
彼を肉体として見ることは不可能」
逆に言えば罪のない肉体を見ることも不可能ですね。
肉体と言えば、罪そのものですから。
分離しているもの、そしてないもの。
そして肉体って、関りを通して権力を求めるために
自我が選択した武器そのものですね。
ですから兄弟を肉体として見ている者は、
彼に裁きを下したのであり、彼を見ていない。
どうすれば兄弟を肉体なしで見ることができるだろうと
質問してはならず、私は彼を本当に罪なき者と
見たいのだろうかとだけ問えばいいようです。
そしてその時忘れてはならないことは、彼の無罪が
あなた自身の恐れからの脱出だと言うことのようです。
救済が神の声である聖霊のゴールで、その手段は心眼。
「あなたの兄弟を罪なき者と見ながら、
彼を肉体として見ることは不可能」
「人はその心に思うごとく知覚する。
だから世界を変えようとするのはやめなさい。
そうではなく、世界についてのあなたの心を
変えることを選びなさい」
世の中は見えているとしたら、その見えている現象は
人の考え通りと言うことでしょうか。
だったら人はさまざまな思いで生かされているので、
一つの世界だと思われる世界は、人の数だけ
あると言うことですね。
人は思いがさまざまだからですね。
同じような思いの方々は、同じように世界を
見ていることになりますね。
もし自分の気に向かない世界だとしても
それは実はその人の意識の反映だということ。
ちょっと厳しいですね。
ですから気になる、とてもいやな世界を見ているのなら、
どんな思いがその世界を現わしているのだろうと、
自問自答すればきっと世界は瞬時に変化するのでしょうね。
ほんとかな。?(笑)
そしてその世界に喜びを与えるのはあなたの中にある。
一人の中の光は、すべての者の中のその光を
目覚めさせることができるのでしょうか。
ただただ罪の世界(分離の世界)を聖霊が見ている世界
(元一つの世界)へと喜んで交換しようとする
気持ちがあるかどうかだけのようです。
決意だけでしょうか。
「人はその心に思うごとく知覚する。
だから世界を変えようとするのはやめなさい。
そうではなく、世界についてのあなたの心を
変えることを選びなさい」