会社が今の名古屋の山善ビルに引っ越して
二年と少しが過ぎました。
場所は名古屋を東西に走る最も古い広小路通りの
一本南にあたる三蔵通りに面しています。
一階はとても繁盛していて、全国からお人が
かけつけるコーヒー店があります。
今年は通常年と異なった体験のない
異常な年となりました。
会社が本業としていた建築板金の材料の
販売をほとんど停止して、販売の少しを
残し、板金工事施工と、健康や環境関連の
ネット販売「伊路波いちば」の運営が
半々となっています。
この時代今年後半は工事が激減しましたが、
ネット販売はこの二年毎年30%の増大と
なりました。
天啓とも思えるこの転換はまさに
感謝の一言でしかありません。
1995年「1995年の衝撃」という本に
出会ったことが遠い記憶となりました。
その年から大阪に月一回以上出向き、
「日本の現状」と「戦後からの状況」を
つぶさに学びました。
記憶優先の教育。
金太郎あめのような人物を養成している
かのような教育。
大人になれば「儲かることには前に出るが
存することには後ろに下がる」国民性そのものの
人間になっていたようです。
3Sと言われる、スポーツ、セックス、スクリーン
そしてマスコミに洗脳され続けている自分を
知ります。
「どんなふうに生きたらいいのだろうか」
大きな命題が産まれました。
「天音天画」にもその二年前に出合いました。
この絵と文字についてはそれ以後27年間も
引き続いてご縁をいただいています。
参集いただける方々とともに「人生とは何か」を
共に学ばせていただいています。
未来予知的なこともたくさん出てきますが
そのことよりも「天音天画」の源流に流れる
「元一つ」の概念がとてもしっくりと心に
なじむのです。
「怪しいな~」と敬遠される方もみえますが
それもそれと感じます。
毎年岐阜のある神社の祢宜さんにも送らせて
いただいています。
盆と暮れには丁重なるご挨拶を賜ります。
つい先日もご訪問くださいました。
その時の会話です。
「いよいよ令和三年から、本当の令和が
始まるという天画が出てますね。」
と申し上げると、
「今までの27年間で幾度も幾度も
岩戸開きとかありましたよね。」と
すこしご不満顔です。
それで、
「世界が変わるとか、現象が誰かの力で
変わるとかではないと感じます。
いつでも今ですので、今一人一人の岩戸が開くのでは
ないのでしょうか。その時が来たと。」
どうしても世界が変化すると信じることが
癖になっていますので、自分が自分の心の岩戸が
開くとは思えないのでしょうか。
天照大御神が岩戸が開けられてから闇の世に光を
もたらしたといわれる神話がこびりついて
離れないのかも。
実は扉を開けて光の世界にするのは一人一人なのでしょう。
他力ではなくて、自力です。
またこの「天音天画」に基いて学ぶ方たちの
集まりを「冠之会」と呼びます。
冠と言えば特殊な選ばれた人と思われがちですが
そんなことはなく、すべての方が冠を付けています。
神聖な神の使いと考えれば納得がいきます。
ユダヤとこの日本の国の関係はもはや隠すことはできません。
空海の作と言われる「いろは歌」にその冠を見つけました。
ご興味のある方は「日本とユダヤのハーモニー」をご覧ください。
空海はもちろんご存じのように遣唐使として
中国にわたります。
当初20年長安に滞在して帰国の予定でしたが、
何故か短期間で帰国します。
通常は約束違反で打ち首ですが、赦されて時の天皇の
バックアップをします。
その空海の「いろは歌」を7行7列にした
一番上の文字を右から読み、下の列の文字も
右から読みますと、
「イチヨラヤハエ トガナクテシス」となります。
もっと詳しくはこちらでどうぞ。
「暗号文としてのいろは歌」
「八重桜の秘密」
イエスのことを説明しているまさかのいろは歌は
空海の渾身の作で、長くこの国の人々に慕われてきました。
そこに何故「尊い神が 罪なく死んだ」と意味を込めたのでしょうか。
実は「日本とユダヤのハーモニー」の中に詳しいのですが、
空海はダビデ王朝の末裔としています。
自分のルーツを唐にわたって調査したと思われます。
そして重大なことに気づき朝廷に報告を急いだと考えられます。
「日本人のルーツ」のことです。
話しは戻りますが、このいろは歌の上の列「イチヨラヤハエ」を
冠と呼ぶようなのです。
さすれば冠之会はそのいろは歌の意味することに
関係するご縁の方々の集いともいえるのでしょうか。
一つしかないユダヤの神「ヤハエ」(かたちなくひとつしかない)
天音天画の基本的概念「元一つ」
まったく同じものをずっと見ていたと言えます。
令和二年の年の暮れ、次年からは大変な体験を経て
すべての人類の解放の時が迫っているのかもわかりません。