ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 13・14 対象物から刻みこまれた・・

13・対象物から刻みこまれた印象(想い)が、
まるで海の波のように限りなく立ち現れてきます。
それらのすべてがぬぐい去られるのはいつのことでしょうか?

 自己への瞑想が高く高くなるとき、
これらの想いは打ち破られるだろう。

14・いわば始まりのない時の彼方からやってくる、
対象物によって刻みこまれた印象が溶解し、
その後に人が純粋な自己としてとどまるというような
ことがありうるのでしょうか?
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再録 奇跡の道 その37~今とは、この世界が提供するものの中で・・・

「今とは、この世界が提供するものの中で
最も永遠にちかいもの」

どなたでもこの世界に在る者で、自分の周りで
多少なりとも別の世界を垣間見たことのない者は
いないと言われています。

どんな時でしょうか。?
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ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 15 「探求」はどれくらい・・

15・「探求」はどれくらいの期間
続けられねばならないのでしょうか?

 心の中に対象物の印象が残されているかぎりは、
「私は誰か」と尋ねなければならない。
想いが起ったなら、それはそのときその場で、
「問う」ことにより、それの起った原点において
破壊されなければならない。
自己が得られるまで、中断することなく
自己の黙想に帰りつづけるならば、そのときに
のみ想いは破壊されるだろう。
城の中に敵がいるかぎり、彼らはつねに反撃しつづけるだろう。
敵が現れるたびにそれを滅ぼせば、
やがて城はわれわれの手に落ちよう。

 

再録 奇跡の道 その38~あなたが死への願望に屈したい誘惑に・・・

「あなたが死への願望に屈したい誘惑にかられるとき、
私(イエスキリスト)は死ななかったということを
思い出しなさい」

この世界ではお会いしたこともないイエス様ですが、
磔にされてから三日後によみがえったと聞いています。

弟子の内の一人トマスはそれを聞いてもまた、
そのよみがえったイエスに会っても、蘇りを
信じなかったようです。

するとイエスは磔の刑で自分が刺された
箇所にトマスの手を導き触れさせました。
そしてその傷跡が残ることを確認した
トマスは心から死はないことを確認しました。

物語ですが。

神の一人子イエスは常に在るものと
なっています。
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再録 奇跡の道 その39~実相はあなたの心に一体性をもたらす。それは・・・

「実相はあなたの心に一体性をもたらす。それは強烈な
鮮明さと明るさとともにもたらされるので、
あなたはもはやたとえそれと引き換えに全世界を
与えると言われたとしても、実相からもたらされるものを
受け入れたくないとは、決して思わないだろう。」

全世界を与えられても、そんなものと較べようもないもの。

それは一体どんなものでしょうか。
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再録 奇跡の道 その40~この世界におけるあなたの機能は、ただ自分は・・

「この世界におけるあなたの機能は、ただ自分は何も知らない
という認識のもとに、自分が何を望むかを自分で決断を
しないという決断をすることだけである」

すこしややこしいですね。
普通はいろんなことを学んで
知識を増やし、どのようにして裕福になったり
幸せになったり、成功したりしようと、得られた知識を
基盤にして、判断しているのが人間ですね。
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再録 奇跡の道 その41~破壊は真実ではないというそれだけの理由により・・・

「破壊は真実ではないというそれだけの理由により
死は生命(いのち)に譲歩する」

破壊は世の中では当たり前に起きていることなのに、
それが真実ではないとは。?

時空間も物質も真実だととらえて離さないのが
「自我」です。
すなわちそれが真実であり、いつかは人間は
死ぬのだという確信が「自我」の切り札です。
だからありもしない病に侵され、ウイルスに
怯えます。
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再録 奇跡の道 その42~平安と理解は一対をなしている。それは・・・

「平安と理解は一対をなしている。それは
互いに原因と結果をなしている」

平安と理解?

何の理解でしょうか。
理解にもいろいろあって、きっとこの世的な
理解ではないのでしょう。

しかも理解していることが原因で平安という結果を得、
またいつも平安であれば、そのことが原因で
理解しているという結果となる。
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