森信三先生の言葉 10~われわれ人間というものは、すべて・・・

 われわれ人間というものは、すべて自分に対して必然的にあたえられた事柄に対しては、そこに好悪の感情を交えないで、素直にこれを受け容れるところに、心の根本態度が確立すると思うのであります、否、われわれは、かく自己に対して必然的にあたえられた事柄については、一人好悪の感情をもって対しないのみか、さらに一歩をすすめて、これを「天命」として謹んでお受けをするということが大切だと思うのです。同時にかくしてはじめてわれわれは、真に絶対的態度に立つことが出来ると思うのです。

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 わたしの考えでは、われわれ人間は、自分がここに人間として生をうけたこに対して、多少なりとも感謝の念の起きない間は、真に人生を生きるものとは言い難いと思うのです。実際この地上の生物の数は、人間のそれと比べていかに多いか、実に測りがたいことであります。しかもお互いにそれらの何かでもなくて、ここに人間としての「生」を与えられたわけですが、しかもそれが、何らわが力によらないことに思い及べば、何人も享け難い人身を受けたことに対して、しみじみと感謝のこころが湧き出るはずであります。

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 われわれは、平素自分が受けている恩恵については、その程度の深いものほど、かえって容易に気づき難いのが常であります。それはちょうどわが顔は、自分に最も近いにも拘わらず、あまりの近さの故に、かえって平生それと気づかずにいるのと同様だといえましょう。

再録 奇跡の道 その109~どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか

「どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか。」

世界のあり方は、事実であるにすぎない。

それが何であるべきかを、あなたが選ぶことはできない。
しかしそれをどのように見たいかは選択できる。
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再録 奇跡の道 その110~世界を救うためには、何人の・・

「世界を救うためには、何人の神の教師が必要か」

この問いの答えは「ひとり」です。

なぜ多数という幻想が必要でしょうか。
その理由は単に幻想に惑わされている者にとって、
実相は理解できるものではないからですね。
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森信三先生の言葉 11~そもそも謙遜ということは、その人が・・

 そもそも謙遜ということは、その人が内に確固たるものを持っていなくては、出来ないことではないかということです。言い換えれば、人は自ら信ずるところがあってこそはじめて真に謙遜にもなり得ると思うのです。すなわち謙遜という徳は、相手に対する自分の分際というものを考えて、相手との真価の相違にしたがってわが身をかえりみ、差し出たところのないようにとわが身を処することをいうのであります。
 かくして謙遜は、ひとり目上の人とか、ないしは同輩に対して必要なばかりでなく、むしろそれらの場合以上に、目下の人に対する場合に、必要な徳目だともいえましょう。もっとも之は、以上いずれの場合にせよ、必ず相手との関係を考えて、つねにその宜しきを失わないということが大切です。

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 我われ人間は、死というものの意味を考え、死にたいして自分の腰が決まった時、そこに初めてその人の真の人生は出発するといえましょう。随って、これを逆に申せば、未だ死について何の考えもなく、死に対してなんら腰の決まらないうちは、その人生はいまだ真実とは言えないといってよいでしょう。すなわちそれは、ただ起きたり寝たり、食ったり息をしたりというだけで、その人の真の人生は、まだ始まっているとはいえないわけです。

森信三先生の言葉 12~人間の偉さというものは、その人が・・

 人間の偉さというものは、その人がいかなる志を立て、それを如何ほどまで実現するかによって決まるとも言えましょう。否、さらに突きつめて申せば、そもそもわれわれ人間の志というものは、その人が真に心中に希うだけは、必ず実現するものだともいえましょう。すなわち一人の人間が、真にその心中深く念じて止まぬ事柄というものは、必ずやいつかは、何らかの形で実現せられるものであります。

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 われわれ人間は必ず死ぬものであり、人生は永遠に二度とふたたび繰り返すことの出来ないものだということは、古来かって一人も例外のない人生の最大鉄則であります。この人生の最大鉄則に向かって、如何にわが身を処して行くかが終生の課題です。

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再録 奇跡の道 その111~犠牲の真の意味はなにか

「犠牲の真の意味はなにか」

真理においては「犠牲」という言葉自体は
まったく無意味ですね。
それは一つのレッスン、そして幻想でしょうか。

実相においては学ぶべきことはひとつもない。

この世界が与えることのできるものは何もない
という事実を悟り、受け入れるには、多大な学びを
必要とするようですね。

そしてこの世界が定義する犠牲で、肉体に関連
しないものは皆無でしょうか。
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再録 奇跡の道 その112~世界はどのように終わるのか

「世界はどのように終わるのか」

始まってもいないのに、真の終わりはあり得ませんね。

世界は、それが始まったときと同じく、
幻想の中で終わるのでしょうか。
ですが、その結末は慈悲という幻想のようです。
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