11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その3

沖縄から戻っての11月17日、久しぶりに東京からのお二人の女性と食事することになっていました。

日本の真実について検証を進め、執筆活動をともに進めるお二人です。

日本の今を考える #47

紙の温度」に行きたいとの要望がありお連れすることになりました。紙の温度は日本でも有数の紙がある場所とのこと。丁度熱田神宮の南隣にあるのです。 “11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その3” の続きを読む

11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その2

沖縄滞在三日目、最終日の11月12日になりました。

みなさんは昨夜の山根さんのワークショップの興奮にそのまま浸るかのように、朝のバイキングルームで大きな一塊になって山根さんを囲んでいました。

こちらはコーヒーの立ち飲みでした。

出発の時がきました。ここで山根さんと大阪から参加の藤田さんとはお別れです。10名が久高島に向かいます。

乗船場の安座間港に着きました。チケット売り場で今日は久高島が祭礼の日と知りました。ですからニライカナイは通行止めかも知れません。
“11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その2” の続きを読む

11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その1

岩戸開きといわれる11月11日近くからこの12月12日弥勒の日と言われる日まで、まことにあわただしい神惟ら(かんながら)体験をいただきました。

11月3日 文化の日に町内の白龍神社さんの補修工事完了の祝典がありました。その白龍神社さんが皮切りとなりました。

11月10日 テネモスミーティング名古屋 IN 沖縄出発の日です。

那覇空港にはテネモス国際環境研究会の釘本さんがお迎えにきていただいてました。そのとき事前のお申し出どおりレンタカーはすでに手配されてすぐに乗ることができました。

そして大方の予定を決めていただきながらもあるままに自由に旅する沖縄のミーティングが始まりました。

11月10日

空港発後 昼食は沖縄そばのものすごくおいしいお店にお連れいただきました。

食後突然の雨で予定変更、すぐ近くの美術館で開催中のテオ・ヤンセン展に行きました。浜辺で風を受けてまるで動物のようにふるまうテオ・ヤンセンさんの創作物が実物展示されていました。

そして海中道路を走り、沖縄のいざなぎいざなみであるシルミチューとアマミチューのすみかといわれる拝所にて参拝後、近くの兼久ビーチへ行きました。

清らかな場所でした。

その後はアマミチューのお墓を訪ね、宿泊場所の
ココガーデンホテルに向かいました。 “11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その1” の続きを読む

日と月と人と

出雲から伊勢の大神楽へと導かれた12月の始め。空を見上げれば輝く日(太陽)です。

不思議なことが三つありました。

輝く太陽です。

1.jpg
2.jpg

ベランダで椅子に腰掛けながら美しく輝く太陽を撮影しようとしました。おそらくめがねをかけた方なら誰でもが体験していることでしょうけれどこの日はなんだか不思議な感じを受けました。めがねをはずせばもちろんわかりません。

めがねをかけて太陽の方向に身体を向けます。そして視線を正面から少しずつ上の太陽の方向に上げていきます。

そうすると太陽からの真っ直ぐな一筋の光が自分のハートに注がれていることを感じます。まさに真っ直ぐな一筋の光が太陽から自分だけに注がれていて、太陽と自分がつながっているような感覚が溢れてきます。

当たり前の 普通のことかもしれませんが。

“日と月と人と” の続きを読む

真理の光 8 追伸 「受容」の幅

「受容」の幅について、先生と生徒の真理探究について、
「受容」の幅の差が、関係を継続させると書きました。
敵さえも「受容」したイエスについては、すべての人との
「受容」の幅の差(ギャップ)が詰まることがないので
イエスに多くの人々が2000年もの間惹かれているのです。
それはお釈迦様も空海も道元も親鸞も日蓮も
宮沢賢治も良寛もその他の偉人達も同じように
人々を長い間ひきつけてやまない理由です。
「受容」の大きさが、人々を大きくひきつけるエネルギーとなっ ています。
「受容」すれば「0」になるからです。
すべてを「受容」すれば完全となり イエスになります。
逆に「0」になれないので人間として生まれたともいえるのでしょうか。
「0」になれない理由は「分離感」にあります。
「分離感」を無くすことが、すべてを「受容」することになるようです。

真理の光 その9~一体全体と意識エネルギー

私達の感知する現実世界は一体全体でひとつの
生命であることはよく耳にします。
そのことと、意識はエネルギーであり光子でもあることの
証明が科学的になされました。
いつも暮れになりますと送られてくる風天さんの
冊子にその記述を見ることができましたので
掲載させていただきました。

20171129162014_00001.gif
(画像をクリックすると読みやすくなります)

すべてのモノはかかわりあって存在していることの証明が
上の項目でなされています。
そして意識はバイオフォトンという光子であることも。
光子ですから意識を向ければ(意識をすれば)電子が
動きます。そして思ったとおりになります。
「意識すればそこに量子が偏在する。
意識は光子(バイオフォトン)で エネルギー、 波であり物質(粒)である。
人は自分の見ているものすべてに影響を与え変化させる。
何かを見るだけでその何かの分子を変え、原子を変え
エネルギーを変えるほどの力を発している。
素粒子は人間が意識していないときは波(エネルギー)で
人間が意識したときだけ粒(物質)になっている」
真理法則の科学的証明です。
現実はよいわるいを抜きにして幻想の世界なのでしょうか。

真理の光 その6 意識を起こして 意識せずの凄さ

先の水耕栽培の実験ではいろんなことがわかりました。
まず水耕栽培の水に空気振動圧をかけていますが、
その振動圧の高さに比例して生育のスピードが速いこと。
それから上からの光の種類(光の振動)によって
レタスの色目ややはり生育スピードが異なること。
振動圧がレタスの電子を活発化しまた光子も
同じように活発化して、レタスの生育を促進します。
空気も光も振動です。
何らかの圧が物質を作り出す元となることを
ずっと検証してまいりました。
そしてその最大の圧は意識であることも。
では「瞑想」のように瞑目しながら何も意識しないことは
人間にどのような影響があるのでしょうか。
もちろん眠っているときは何も意識していないと思いがちです。
でもほんとうに眠っているときは何も意識していないのでしょうか。
それでは眠っていさえすれば「瞑想」と同じ効果があるのでしょうか。
古来多くの人々が「瞑想」をしてきた意味が消えてしまいそうです。
おそらく眠っていても意識はあるように感じられます。
ただ横になって眠っていることで、物質的にはアースされた
状態となり、滞りが無くなることでしょう。
ですから眠るのは椅子で眠ったりせずに横になって眠ることが
大切といわれるようです。
ここでは人間の意識はずっと止まらないことに
なってしまいます。
そこで地球上の人間が常に意識していることは無限の
多さであり、無限の圧といってもいいでしょう。
無限の無限の意識圧です。
それが寝ても醒めても連続しています。
その無限の意識圧を現実化する膨大な接着剤の
光はどこから来ているのでしょうか。
「意識を起こして 意識せず」
起きていても眠っていても意識を起こしているのならば、
意識をしないことは逆に意識を起こしているときにしか
できないようです。
これが古来「瞑想」が重要とされてきた理由でしょうか。
もし「意識を起こして 意識せず」ができたならば光の元、一元の本源に
自分がそのままになることができるのかもしれません。
というよりも、もともとそうであったとの深い感慨を得るのでしょうか。  
「瞑想」でふるさとへどうぞ。
そして「万事如意」の世界観を達成なさってください。
無限宇宙は無限意識そして無限のバイブレーションに満ちています。