真理の光 その1  すべては光

平成5年ですから、今から24年前の11月、
広島のお寺にいました。
そこですでに故人となられたKさんの小太鼓の
響きにふれました。
そのときのKさんのお写真です。

川野政次さん.jpg
広島の方々に大変にお世話になりました。
実はその日は仙台からも大阪や名古屋からも
たくさんの方々が集まりました。
今年三月からのものすごいスピードでの出来事が
コレまで生かされてきて不明だったことへの
理解を深めてくれました。
「すべては光」
その日お寺の和尚さんからお聞きしたこの言葉はなんとなく理解しながらも不明でした。
光がすべてなら、元である神様も光、そしてその子でもある
人間も光、そして万物もまた光ですので、すべてがひとつであるのに
異ならないのです。
もしそのときの体験記事をお読みになりたい方は
こちらからどうぞ

今年の3月3日岡山にいました。
テネモスのKさんからのお誘いで、震災から加速した
オフグリッド(送電線網に寄らない、すなわち自前の電気)の
電気で自宅をまかなっている方たちの家を訪問させて
いただきました。
ただそれだけだったら、そうかで終わっていました。
でもそれだけではありませんでした。
岡山市内でのお寺で、その日集った人々に加えて
新しい技術で自前の電気を確保しようとする提案が
ありました。
そこからさらなる旅が始まりました。
「すべては光」の真の理解への旅でした。
今朝のお日様です。

太陽今朝.JPG

そして今朝の冴えた月です。

月」「.JPG

日も月も晴れても雨でも曇ってもいつもあります。

この国のどこかに・・・・

この国のどこかに・・・・
ももえさんの歌の文句ではありませんが。
最近になって立て続けに映画を見ました。
自分で見たいと思った「君の名は」。
昔の同名映画は岸恵子さんと佐田啓二さんが主人公です。
小学校5年生のときにバスの中で生オケで
この主題歌「君の名は」をうたったほど好きな歌の題名でした。
でもこの映画の上映館はほとんど若い方ばかりで恥ずかし。
終わったら明るくなる前に先に出ようと思いました。
この映画には長く続く人間の「縁」を感じました。
一回だけでない人の生涯。
だから肉体は仮の宿で、意識だけがずっと継続することを
表現している映画と思います。
若い方や世界でも、そして韓国や中国でも話題になるはずです。
「今」お会いしているすべての人々との懐かしい縁を
大切にしたいと思わされます。
きっと涙された方もたくさんおありでしょう。
次は他の方に奨められて「この世界の片隅に」です。
もうボロボロでした。
何にこんなに感じたんでしょうか。
おばあさんが出てきてしゃべるだけでもういけません。
戦争中、戦後食べるものがなくて苦しいはずなのに、
家族はみんな愚痴も言わず食卓は笑いが絶えません。
あるものに感謝する、こんな大切なことが普通に
家族にある昔の情景です。
物質が大変に豊かになった戦後ですが、
このなんにでも感謝すると言う基本がだんだん遠くなっていました。
そして広島長崎の二つの激しい記憶さえも
遠くなってきていました。
6年前の福島。
原発の是非云々よりも何よりも、この国のどこかが
人の住めない場所になっている事実を改めて認識し思い出しました。
ふるさとに生まれ育ち、ふるさとを追われ戻れない。
福島の人たちの悲しみが迫ります。
そして逆に戦後復興した広島長崎の人々の、そしてこの国の人々の
底力をも感じました。
多くの方に、特に今苦しいであろう若い方々に
ぜひ見ていただきたい、勇気が出る、心があったかくなる
映画と思います。
そして最後に「沈黙」。
遠藤周作さんの原作です。
重い映画です。
信仰を捨てることを他が強いても、それは形では
できても心の中を変化させることはできません。
肉体的な苦しさよりも、他への思いやりによる苦しさに
絶えられず、形で信仰を否定した主人公ですが、結局は
何も変わらずに肉体の生涯を終えます。
限界のとき、いくら問い続けてもずっと黙ったままの神。
最後に少し軽いイエスが主人公の心に赦しを与えます。
自分が自分を赦した瞬間です。
自分の心にずっとあるどす黒さや弱さを見させてくれる映画です。
そしてどなたの中にでもある神性をもまた見せてくれると思うのです。

暮れのご挨拶

pomu.JPG
いつもこの伊路波村を訪ねてくださるあなた様に暮れの感謝のご挨拶を申し上げます。
今年はとてもご縁の深かった飯島さんが天に戻られて、
肉体でのお出逢いはもうできなくなりました。
残されたものとしてわずかな力ですが、できることを
続けてまいりたいと強く思っております。
この年になると以前のように忘年会も少なくて、静かな
くれを迎えさせていただいております。
昨日は地元の氏子をさせていただいています神明社さんでの
不動様への恒例の感謝の集いがありました。
一年おきに取り替えます不動はたを先輩方とともに
交換しました。
この愛知はスサノウさんの神社である津島神社を元とする神明社さんが県内
全域に数多く存在しています。
地域の3つの山車の元社でもあります。
この神明社の参道の敷石にお不動さんの像が突然に
出現し、その敷石のお不動さんをおまつりすることにしたのです。
もう10年以上前の話です。
氏子の皆さんも年々年をへられて私が一番の若手といわれて
恥ずかしいです。この年で。(笑)
写真の犬は伊路波いちばのマスコット犬のポムちゃんです。
大好きなおにいちゃんにだかれて嬉しそうです。
娘の家から名古屋に預からせていただいてもう二年を
過ぎました。
散歩係の私が朝会社に出勤する時には、玄関でものすごい
勢いでほえまくります。
でもドアが閉まりますと、さっと何事もなかったかのように
室内に戻っていくようです。
ちゃっかりしたポーズ犬です。
犬はいつもワンワンとほえています。
「一つだ一つだ」とほえる犬はDOG。
逆から読みますとGODです。
やっぱり一つ一つと言い続ける神様ですね。
昨年の暮れ、導かれるように出かけた大阪でのご縁ある絵の
展覧会場で、入場される人すべてが以前のご縁を
思い出させてくれました。
そして続いて伺った東大寺ミュージアムの伎楽面に
時間も空間もなく距離もないことの確信をいただきます。
出会う人すべてに今生のご縁に感謝でいっぱいです。
ありがとうございます。

食べない方たち 2

水も飲まない、食べ物も食べない人が
汗をかいたり、排尿したり排便するし、
また食べ物を食べないから肉体の不調など
ないでしょうと思うかもしれませんが、
やっぱり不調があるようです。
そうなると肉体という物質の変化の原因は
決して食べ物だけではなくて、精神の影響が
強いのでしょうか。
この場所から物が消えて他の場所に移るという
テレポーテーションも可能ならば全部に可能ということに
なります。真理に例外はないですから。
そうすると私達の目にする物質の世界とはいったいなんなのでしょうか。
どんなに調べてもなかったものが、何度も調べた挙句に
もう一度と思って探したらその場所に出てきたってこと、
どなたでも経験があることではないでしょうか。
不思議な出来事です。
おなかがすいたら食べればいいですね。
食べない人たちのフォーラムから二週間が過ぎたころ、
今度は新しいものとの出逢いがありました。
すべて天燃物由来のバイオーペースト(はみがき)の紹介でした。

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食べない方たち

11月6日(日)、前日に久々に来名された仙台のOさんとの
ご縁から急に大阪に出向くことになりました。
はせくらみゆきさんが始めて主催となったフォーラムで
食べない人とか、ほとんど食べない人のお話や座談です。
はせくらみゆきさんの絵画の簡易展示場を拝見して会場へ
行きました。久々に講演会なるものに出向きますので
ちょっと恥ずかしい感じがしました。
森さんという女性のヒーラーの方はあまりにも有名です。
一日に青汁一杯だけです。
この青汁一杯もほんとうは要らないけれど、あまり何もなしでは
皆さんが不思議がるからといわれましたが、存在がすでに不思議です。
鍼灸師で5万人もの方を治療し、難しい病も治したそうです。
明るい女性という感じでした。
次は秋山弁護士さんです。
この方は水も食べ物も一切口にされません。
パレスチナに出向いたときに、いきなり8キロだか10キロだかの
マラソンに出場しないかと言われて、革靴で完走。
途中幾度も差し出される水に一切手を出さず。
それでも汗は出たとか。
不思議に思った人がどうして水もなしで大丈夫なんですか?
と質問しますと「フリーエネルギーを取り入れて水に変換しています。」
というお答えをされたよし。
このお二人で午前中は終了です。
午後はこれまた有名な滝沢泰平さんと主催のはせくらさんの
お話の予定がプログラムにありましたが、なぜだかお聞きする
気になれず新幹線で名古屋に戻りました。
久々のお人のお話。
Oさんに素敵なお時間をプレゼントされてありがたく感謝しました。
さてもし目の前の現実の方でお一人でもなにも食べずに
生活をされていらっしゃるのなら、はまりやすい自分は
すべての方が可能なことと確信します。
そうなるとよい水とか栄養のある食べ物とか、自然食とか
まったく無意味なことがこの世にはとても多いと感じさせます。
それでもさすがに空気は吸わないで生きている人はいないだろうと
誰でも思われることでしょう。
でもそんなことができそうな人がこの国にいらっしゃいますね。
まったく空気がないかどうかははっきりしませんが、インドでは
聖なるヨギとして名が知られている相川圭子さんです。
10回を超えてサマディー(聖なる儀式)をしてみえます。
女性ですからヨグマタと呼ばれています。
もちろん日本ではただ一人です。
そのサマディーでは3泊4日で地中の穴に入ります。
そしてその上部を覆い、土をかぶせます。
瞑目して4日目に自力で地上に上がれれば
聖人として認められます。
何万人もの人たちが一緒にその様子を見ています。
偏屈な自分はその穴の大きさ、成人女性の肺活量と
呼吸数などから本当にその穴倉で窒息しないだろうかの
計算もしたことがあります。
おそらく熊さんの冬眠のように生命維持力をかなり落とせば
不可能ではないとは思いました。
ですが普通の人間ではとても不可能です。
しかし一人でもできる人がいればそれは誰もができます。
したがって空気もまた人を生かすものではないかもしれないと
感じました。
それでは人を生かしている物質ってほんとうにあるんでしょうか。
それとも物質ってほんとうにあるんでしょうか。
不思議です。
忘れていました。
秋山さんの最後の言葉「ひとつひとつ丁寧に生きてください。」が
とても心に残っています。
いつも大雑把を選択しているだけに・・・・・。

ある集い

およそ一年ぶりに飲み屋さんでの集い。
学生時代の5名が(いつもですが)集いました。
70歳近くの年齢になりますと、さまざまなそれぞれの
家族や親類の方の変化が大きく、また自身の体の
状態も変化して、すこし開催の時間的な間が伸びていました。
酔うほどに話が広がって、4時間です。
四国巡礼の旅に出かける機会が多い方もみえて、
「般若心経」や「この世の真理」の話にもなりました。
仏説についてその意味は「色即是空 空即是色」につきること、
不変なる物は空で、変化するもの(無常)は色、とわかったような
言葉が酔いに任せて口をついて出てきました。
翌日再び心経の意味を調べていました。
今まで何度も学んではいたのですが、
その場その場で理解が違う感じです。
宇宙や人生の真理を知って、そのあまりの単純さに
心打たれたブッダでしたが、このことをたった一言の
人は「無明」ということばで語り、「無明」を去れと
説き続けたようです。
仏教の始まりです。
「心経」の学びから始まって、仏陀のことばの調べから
気になった言葉群を紹介させていただきます。
☆最大の名誉は倒れないことではない。
 倒れるたびに起き上がることである。
☆因果によるものはすべて「無常」
 このことを知るとき、人は苦しみから逃れられる。
☆眠られない人に夜は長く、疲れた人に道は遠い、
 正しい教えを知らない人にその迷いは長い。
☆壮大な岩が風に動じないように、賢者は非難と賞賛に動じない。
☆地上の王座より輝かしく、世界の支配よりすばらしきものは、
 解脱の最初の法悦の瞬間である。
☆愚かな人は「私には息子がいる」「私には財産がある」などと
 言って、それで思い悩むが、自分自身がそもそも自分のものではない。
 ましてや息子や財産が自分のものであろうか。
気になるってことは、できていないことなんですね。
まずブッダの「無明をされ」を日々すこしずつでも
実践したいものと感じさせます。

「永遠の汀(なぎさ)に立ちて」 生命の光 手島 郁郎 師

毎月横浜から送られてくる「生命の光」ですが
もう15年近く読ませていただいてます。

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イスラエルへのたびの後、知人となった方からの
贈呈が毎月あるのです。
幕屋ですから、神はどこにでもあって幕を張れば
そこに神が降り立つと考えるらしいのですが。
教会を持たず旧約新約聖書を学んでいく集団です。
その今月号の「永遠の汀(なぎさ)に立ちて」が
とても心に響きました。
創始者の手島郁郎さんの言葉です。
少し抜粋です。
☆時間という次元を突破して、永遠の次元に一歩踏み入れた
 人間は強く逞しい。
 ここに真に人生に勝利する解決がある。
 死におびえている間は永遠の生命というものはわからない。
☆80年~70年の生涯においてもっとも大事なことは
 次の永遠界を確かめることです。
 これ以上にえらい仕事はありません。
☆「永遠より永遠まで」ということがわかったら、
 私達は活き活きと生きられる。
 隠れたる世界が見ゆる世界を造っている。
☆聖書では、時間は未来から過去に流れていると考える。
 過去のカルマが現在ではなく、真の信仰の人は
 すべては永遠の世界から流れてくる、神の前から、
 時は流れてくると知っているので泣き悲しまない。
☆自分の過去がどうあろうが、過失があろうがそんなことは
 どうでもいい。過去も現在もすっかりひっくり返すような、
 ものすごいエネルギーをもつ流れがある。
 神の時が未来という世界から現在に向かって流れてくる
 ものすごい生命の川がある。
☆過去を振り向くものは時間の奴隷となり、未来を見るものは
 時間の主人となる。
私達は人生でうまくいかなくなったり、悲しい出来事にあったり
苦しい体験をしますと、何故自分ばかりがとか、ときには何か
前の世で悪いことをした報いなのだろうかと自分を責めたてます。
イエスキリストは言っています。
「すべて労する者、重荷を負う者、われに来たれ、我汝らを休ません」
イエスは常に変わらず、私達のすべてを赦しています。
永遠にです。
そしてもちろん私達でもそのことはできるのです。
こちらはクリスチャンではないです。
でも言葉はとても美しいのです。
時空間はエネルギーであって、ただの現象幻想でしょうか。

シーター波

昨夜映っていたテレビでシーター波のことを言っていました。
「ためしてがってん」です。
瞑想すると脳からシーター波が出て精神の安定につながり
痴呆も改善するというお話です。
政木和三博士のことを思いだしていました。
もう20年を超える以前のこと。
名古屋に月に一度みえて、駅前のビルで講演がありました。
「人生の目的は他人の役に立つこと」明確な理念でした。
政木博士は能力開発に右と左の音をわずかにずらした
うなり音がでる機器を発明していました。
それをつけていると記憶力がついたり、健康になったり、
またシーター波が出て願望の実現スピードが速くなりますと
言われました。
やはり政木博士も「思っていることは実現する」と
明確です。
シーター波は夢を見ているときとか、寝入りばなに脳に発現する
脳波のサイクルの少ないゆったりとしたものです。
アルファ波よりもサイクルが半分ほどです。
もっとゆっくりだとデルタ波。
シーター波やデルタ波の状態に脳があると、
思っていることの実現スピードが速いようなのです。
そのシーター波を発現させるのに有効なのが瞑想。
瞑想によってご老人の痴呆性が改善された実例が放送されました。
最近のメディアの傾向は薬などに頼らずさまざまな
方法で健康になる実例を紹介することが多くなっているようです。
そして不思議と手術を回避したり、薬はなるべく飲まないようにと、
今までタブーとされてきたようなことをはっきりと主張しています。
なにか世の中の大きな力の均衡が崩れてきていることが予想されます。
この政木博士のソウルメイト(半身)と言われていたのが
昨日話題にさせていただいたGLAの高橋信次さんでした。
連日不思議な縁の話題が続いています。
☆一時社会問題化しました政木博士発明の神経波磁力線は
 ドイツでは医療保険可能な機器に認定されました。
 問題になった当時でも、機器の実際の使用者の方から
 癌に有効であったことが数々報告されていました。
 今考えて見ますと、神経波磁力線の機器を体にあてるということは、
 N極S極逆転させる交流磁力線で体内の血流圧(内圧)を高め
 体外からエネルギーを吸引し肉体の酸欠を改善することになり、
 しごくまっとうなことと納得できました。
 今さらながらの気づきです。