この道へ 「いのち耀いて」

人々がブログを通じて個性の光を耀かせていく時代に
入った。
多くの方が発信を続けている。
さまざまな個性がさまざまに絡み合う。
仮想社会で知り合い、現実でも出会う機会が増える。
望めば。
ネットワークと個性の光の組み合わせがこれから何かを
生み出していくのかも知れない。
だが価値観はそれぞれに異なるもの。
だからこそ一人の個性に人は群がる。
個性は光であり、その人の体験のすべてを巻き込む
自分像そのものかも知れない。
すなわち「フィルター」。
一人ひとりはネットワークの中心にちがいない。

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この道へ その7 「時が来た」

活動はS先生やAおじさんの影響か、多くの参加者を
巻き込んでいったのだが、活動の中心となる電話事業
そのものに魅力がなくなってしまった。
魅力といっても経済的な成功の魅力なのだが、
そのようなことは初めから眼中にはない。
経済ならば本業に力を注げばよいのだから。
いよいよ実際に放送局への道を模索する「時が来た」と感じた。

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この道へ その6 「DDNとありがとうおじさん」

同志で作りあげる自前のインターネット電話局網が
もろくも崩れ去ったあとは、動物占いやグルメナビの組織から
お話が持ち上がったが、いずれもその気がでない。
ただ農協の特販部のような会社からの紹介があった
突然変異のクロレラ「桃太郎」だけはモノとして
取り扱わせていただいた最初となった。
そして現在でもその出荷数量は増え続けている。
今話題のチェルノブイリでの被災者にも
無償提供され、白血病の治癒にめざましい効果をしめした。
だがモノは放送局設立という目的のための小さな手段でしかない。
多くの方が喜んで続けることができて、
しかもネットそのものが構築できるようなものはないのだろうか。
模索は続く。
そしてDDNにであうのである。

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この道へ その5 「ネットを基盤に」

こうして書かせていただくと、なんだか「人間とは何か」からは
しだいに遠く離れて行ったかに感じるかもしれないけれど、
そうでもない。
現実からそんなに離れることを望まず、
常に地に足をつけて歩まなければと自戒しきりだったから、
あまりに怪しいものからは遠ざかってはいたけれど、
平成5年から続いている会はいまだに参加させて
いただいている。
それは「冠之会」という。
ちょうど「高度情報科学セミナー」にであうと時を
同じくしてこの「冠之会」にもであうのである。

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この道へ その4 「高度情報科学セミナー」

大阪の駅から徒歩15分くらいにあるビルに
全国から毎週土日に多くの人々が集ってきていた。
「マルチメディアインフォメーションセミナー」と題うった
セミナーを受講。
それまでの自分の育った環境やめざした実業家としての
考え方に大きな影響を与える内容のセミナーだった。
土木技術者として、そして金属建築材料の製造販売者として
携わった業務や得た知識や人脈とは異なったものを体験する。
大きな視点が欠けていて、利益優先の小さな自分が
いかに無知であるか。

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この道へ その2 「きっかけ」

そのことがあった日より以前にも、時々はそれまでの生き方を
振り返るようにはなっていた。
その日は44歳のある日だったが、年齢から来る人生への
感慨もあったのかもしれない。
39歳となったその5年前には、自宅を壊し8階だてのテナントビルも
建築した後だった。
その頃突然に町の高架高速道路が廃墟にみえたりした。
未来の子供がお母さんに訊いている。
高速道路を指差しながら、
「お母さん、あれなあに。?」
そんなイメージさえ浮かんだ。

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この道へ その3  「自己啓発セミナー」

衝撃の一言を聞いてから何をしたくなったのかというと、
それは人間ってなんだ、自分ってなんだの問いの
答えを得ること。
それには自己啓発セミナーが一番だと、
いろんなセミナーを聞いたり調べたりした。
そして二つに絞った。
それはN創造○○○○とライフ○○。
ところがその二つはいずれも体験済みの紹介者が必要とか。
それで会う人会う人に聞きまくる。

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全体の責任は我にあり

もし何もかも捨てることができて、
それを欲するなら、山へ行けばいい。
人がいないところ、人と接しないところ。
でもすこし人間に未練があるなら、
良寛和尚のように、人の声がすこし聞こえる
山中がいい。(笑)
どこかの国が戦争をしかけてきても、
どんなに世の中で自殺者がでても、
あらゆる界で不正が行われようとも、
驚くような事件が起ころうとも知ることもなく、
そしてむろん人の世で感じる感動や、
肉体的な喜びや、悲しみさえも覚えることもなく、
世の中のあらゆることから遠く離れたらどうだろう。
少しいつもより暑いとか、寒いとか、
爆弾が落ちたら、誰かが落としたとか、
まず目の前のことをあれこれ思うのだろうか。
何もなく寿命を終えることができたのなら、
世の中の全部の責任を覚えることもなく、
すべてがなくなっていくのだろうか。
自分さえも・・・。
個という存在が体験し、あれこれ思い迷い、
喜び、悲しみ、嘆き、味わい、打ち震える人生。
人間とは何か、現象とは何かの問いに
答えるものはすくない。
まして実証となるとさらに。
どんなことが起きても忘れないでと叫ぶような、
数々の記憶がある。
それでもそんな記憶でさえ劇的な事象が
かき消そうとする。
人が死のうとするかもしれないのに、
心の揺れていない存在をながめる。
ただぼんやりとシーンを見つめる。
人生をとぼとぼと歩いている人間という動物。
本質を知る時が死の時なのだろうか。
他の方からのあたたかいメールに
感謝でいっぱいになった。
ありがとうございます
【世界一風変わりなセラピスト】
by Dr. Joe Vitale(ジョー・ヴィターレ)  
www.mrfire.com
二年前に、ハワイに住む一人のセラピストの話を聞いた。
その人は触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、精神障害を
理由に不起訴、減刑、あるいは無罪となった人のこと)の病棟に収容され
ていた人たち全員を、誰一人診察することなく癒したそうだ。
その心理学者は患者のカルテを読み、自分がどのようにしてその人の
病気を創りだしたのかを理解するために、自分の内側を見たのだそうだ。
彼が自分自身を改善するにつれて、患者も改善したという。
最初にこの話を聞いたとき、都市伝説だと思った。自分自身を癒すことに
よって他の誰かを癒すなんてことがどうやってできるだろう?
最高の自己改善の達人であったとしても、どうやって触法精神障害者を
癒すことができるだろう?
私には理解できなかった。論理的な話ではなかったので私は受け入れなかった。

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ヨイトマケの唄

毎年美輪明宏さんのコンサートと
劇がこの名古屋ではある。
それと美輪さんが名古屋のシャンソン歌手の
育成を祈っての「パリ祭」も。
都合3度の美輪さんがらみのものに、
過去何度かは出向いていた。
特に美輪さんのコンサートや
劇は、ファンクラブの方のお力なのか
もう香水の匂いでクラクラになるような
前の席を確保してくださる。
今年は出向くつもりのなかった昨日の
リサイタルに、出かけることになってしまった。
いつでもそうだけれど、そういうことになっていたとしか
思えないのだけれど。
人生の中で、唄で涙をながすことなどなかった
幼少のころに、始めてテレビから流れた
美輪さん(その頃は丸山明宏さん)の「ヨイトマケの唄」に
恥ずかしながら涙を流してしまった。
「男は泣くもんじゃない」って教えられていたのに。
誰かと一緒に見ていたのなら、もしかして
そんなことはなかったのかも知れない。
涙の理由がなんだったのかは
はっきりとしなかったけれど、それからは
女手ひとつで育ててくれた母親に
すこしやさしく接するようになった気がしている。
幾度かコンサートできいた美輪さんの唄。
数々のいのちをゆさぶる唄に接したけれど、
生で「ヨイトマケ」を聴いたのは昨日が始めて。
この曲ができたわけは以前からすこし
聴いて知っていたけれど、美輪さんが
説明をしている最中からもういけない。
唄が流れると、嗚咽をおさえるのに必死。
恥ずかしいけれど、ボロボロになってしまった。
このお年にしてなんというエネルギーなのだろう。
歌がうまいとかへたとかという
判断を超えた何かふしぎなものが
美輪さんのまわりから伝わってくるのだ。
そしてそのような時、いのちは共鳴をするかのように
何かに引っ張られてしまう。
不思議な色、不思議な波。
だからこそ、いつも満席になる美輪さんのリサイタルは、
そのような誰にでもある根源の共鳴の元を
引っ張り出すかのような力に
呼び寄せられる人々の感激に
満たされるのだろうか。
11月3日の昨日は、亡き母の誕生日だった。
導きのすべてのご縁に感謝しています。

狭いと広い

今年はことが起きて、狭い空間を移動することが
多かった。
毎年のようにでかけた海外へも今年は行かない
ことになりそうだ。
会社や家、そして決まったところを日常的に
移動するだけの生活は、気性にはやはりなじまない。
なんだかいのちの炎がしぼみそうに感じる。
マイナスになることだってエネルギーの変化には
違いない。
大きなマイナスから、小さなマイナスへの
変化は、プラスへの上昇だ。
たとえプラスにならなくたって、変化したこと
にはなるから。
そうやって生きている人々も、知らないところでは
たくさんみえる。
僕たちの空間に現れないだけなのだ。
毎日のできごとを知ろうと思わなければ、
メディアのすべてを絶てばいい。
しずかな当たり前の狭い範囲での日常と、深いところへの
回帰の行為が、もしかして物凄く広いところへと
いざなってくれるのかも知れない。
単調な日々を単調と感ずることもない人々が
ほとんどの世の中なのだろうか。
こんな期間が人生にあるなんて、思いもよらなかったけれど、
その期間を楽しんで、できる範囲でもがいてみている。
逃げていたことから目をそむけないで、
キッパリと決意した時、目の前に広大な野原が
開けてくるような気がした。
自らの作った現象の世界が開けている。