神の使者から奇跡の道へ その107~癒されるためには患者が自分の心を・・

「癒されるためには患者が自分の心を変えなければ
ならないというのなら、神の教師は何をするのだろう。」

患者当人の心を当人に代わって変えられるだろうか。
当然にそれはできない。

「すでに自分の心を変えようとする意欲がある者に
対しては、神の教師の機能は、ただ彼らとともに
喜ぶだけである。」

彼らも彼と一緒に神の教師になったからですね。
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神の使者から奇跡の道へ その108~判断はどのようにして放棄されるのか

「判断はどのようにして放棄されるのか」

判断というものも、世界によって全面的に誤解されている。
それは実際に叡智と混同され、真理の代替とされている。

この言葉の用い方によれば、ひとりの個人が「良い」判断と
「悪い」判断をすることができ、彼の教育は前者を強化し、
後者を最小限にすることを目指している。
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令和二年の年の暮れにあたって

会社が今の名古屋の山善ビルに引っ越して
二年と少しが過ぎました。

場所は名古屋を東西に走る最も古い広小路通りの
一本南にあたる三蔵通りに面しています。
一階はとても繁盛していて、全国からお人が
かけつけるコーヒー店があります。

今年は通常年と異なった体験のない
異常な年となりました。
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神の使者から奇跡の道へ その109~どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか

「どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか。」

世界のあり方は、事実であるにすぎない。

それが何であるべきかを、あなたが選ぶことはできない。
しかしそれをどのように見たいかは選択できる。
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神の使者から奇跡の道へ その110~世界を救うためには、何人の・・

「世界を救うためには、何人の神の教師が必要か」

この問いの答えは「ひとり」です。

なぜ多数という幻想が必要でしょうか。
その理由は単に幻想に惑わされている者にとって、
実相は理解できるものではないからですね。
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神の使者から奇跡の道へ その111~犠牲の真の意味はなにか

「犠牲の真の意味はなにか」

真理においては「犠牲」という言葉自体は
まったく無意味ですね。
それは一つのレッスン、そして幻想でしょうか。

実相においては学ぶべきことはひとつもない。

この世界が与えることのできるものは何もない
という事実を悟り、受け入れるには、多大な学びを
必要とするようですね。

そしてこの世界が定義する犠牲で、肉体に関連
しないものは皆無でしょうか。
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