牧の原の指圧師 今村さんにうかがいました。
「もう少し先の静岡市よりには河崎さんという達人がいて、全国や世界から病気の方がみえますよ。」といわれました。そこで調べました。
ご興味があって困ってみえて何とかしたい方は、思いっきり笑って訪ねてみてください。其の時点でもう治っているかもしれませんが。
河崎さんの紹介 「幸せの道」
毎年うかがう巡礼の旅の先で行う癒しの会のご紹介「ヨガナンダ」
再生大和 霞の中にて活動する
二ヶ月続く朝起きたときの足の裏の違和感が二時間で10分の一に
なりました。 半年続く肩痛の方はだいぶ楽になりましたがもう1~2回の
揉みほぐしが必要のようです。
二箇所とも原因はわかっていますので受容します。
受容不足です。
静岡牧之原の達人 今村さんです。
彼の発信ブログは ここです。
坂田道信先生からご紹介がありました。
13歳の大切な時期から晩年までの人としてのあり方を説いています。
戦前の「修身教授録」とはまた異なって、感じるところが多いです。
第4巻 「人はなんのために生きるか」 第19講から 抜粋
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すなわち人間はたとえ悟ってからもーーついでですが、悟るということは、「自己中心主義」が誤りだということを徹底的に認識することとも言えましょうがーーさらに修行しなければならぬのであります。そしてこのことを臨済禅では、「悟後の修行」というているようであります。
では何故そうかと申しますと、悟りと言いましても、それが自分の我見がコッパミジンに飛び散ってしまって、この天地大宇宙と一体となったともいうべき体験をいうのであります。しかしながら、それはただ一瞬の出来事でありまして、もしその後の修行をつづけなければ。へたをすれば、そのときのただ一瞬の観念的な悟りに留まり、真にわが身に肉体化せられて、私どもの行動の力強い原動力とはならないのであります。
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種が取れました。
少し遅いかもしれませんが、冷凍して9月に撒きます。
平成7年ですから、今から23年前ボリビアへの研修旅行の初の打ち合わせに向かう新幹線車中でのことでした。
知花俊彦さんの弟さんが当時横浜の駅近くで旅行社を経営されていました。その場所へと向かう車中でひとつのお出逢いがありました。私たちはお腹が空いていて当時まだ新幹線内に食堂車がありましたのでそこに出向きました。その一つのテーブルにこちらが先に座っていた記憶ですが、逆かもしれません。同席をお願いされたのかこちらがしたのかわかりませんが一人の女性Sさんとご一緒させていただきました。
純粋な心をその方に感じました。その後さまざまな交流が6年ほど続きました。そして自然にお会いできなくなって17年くらいが経過し、つい数日前他のお人を通じて「お会いしたい」と連絡がありました。そして再会をしたのが「アボットキニー」というお店というか空間でした。それは名古屋栄のナディアパークの北真ん前の場所でした。聞けば大繁盛のハンバーガーショップを突然に閉めて新しい場作りにオーナーがしたとのことでした。
やりとりしたメールの一部です。その英語教師Sさんからのメールです。