「ヒットラーの政策」奥之院通信 R3 5/12

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先の第二次世界大戦以前におけるドイツのユダヤ人に対する政策は、正しかったか誤っていたかはともかくとして、アドルフ・ヒットラー政権のドイツは、ユダヤ人をドイツ国民共同体の中では、不忠であり且つ貪欲な民族集団であり、またドイツ人の生活文化において、堕落への強力な影響力を持っていると見做していた。

 第一次世界大戦後のワイマール共和国時代、ユダヤ人の多くは既に、ドイツにおいて強力な影響力のある地位に上っており、特にそれは法律や経済の分野において、またメディアの世界において著しく、しかも、これがドイツの人口の僅か5%しか占めていないので驚きだったのである。

 カール・マルクスはユダヤ人だったし、ローザ・ルクセンブルグやカール・リープクネヒトのようなユダヤ人が、ドイツで革命運動のリーダーシップをとっており、人口比に対して、不釣り合いなほどの影響力を持っていた。そして、ナチスはユダヤ民族が、強い国際性と共産主義的傾向との両面を兼ね備えて持っていると確信していた。もちろん、事実その通りである。

 ドイツのユダヤ人に対する態度が正ししかったかどうか、或いはドイツ人の彼らに対する法的措置が正義にかなっていたかどうか、これは今ここで議論する余裕はない。別の機会に譲る。ここでは、このユダヤ問題をナチスがどのように解決しようとしていたかを検討してみたい。

 結論としては、彼等の解決方法とは、ドイツ国内におけるユダヤ人の影響を様々な立法で除去することであり、そのために最もいいのは、彼らにドイツから出て行って貰うことであった。彼らの関心はこの努力に関してでしかなかった。この「出て行って貰う」と言う政策は、少なくとも欧州では、どの国でも何時の時代も一貫している。中世の一時期、彼らは欧州のあらゆる国から追い出されていた。しかし、彼らはいつの間にか戻ってくるのである。そして、「我々は迫害を受けた」と歴史に書き、大騒ぎを始めるのである。「郷に入って郷に決して従わない」から嫌われたに過ぎない。しかし、彼らにとっては常に周囲が悪いのである。

 1939年(昭和14年)までにドイツに住んでいたユダヤ人のほとんどは、他へ移住しており、しかも彼らは全て、その所有する財産のほとんどを持ち出せた。いかなる時代も、ナチス指導部はユダヤ人の民族虐殺は、構想すらしていなかった。この点が「6百万人虐殺神話」にとって極めて重要な点であることに留意する必要がある。にもかかわらず、ユダヤ人は最初からナチスは「ユダヤ人絶滅作戦」を意図していたと決めつけている。ここが「6百万人虐殺」嘘の始まりであった。

 ユダヤ人はこのヒットラーの言った「移住」という言葉を、極めて意図的に「殲滅」と名付けたのであった。一部の少数のユダヤ人が、これらのドイツ国内の差別政策を、すぐに意図的に「殲滅に等しい」と解釈したことが重要である。1936年(昭和11年)に書いた反ドイツ宣伝の書に『黄色い汚点―ドイツ系ユダヤ人50万人の殲滅』がある。この段階ではまだ、600万人ではなく、50万人であった。

 この書は典型的な実例を提供している。事実に基づいた根拠もないのに、ユダヤ人殲滅の発想はドイツ人に初めからあったという。いきなり最初のページから、これを「事実」として論じ、またユダヤ人の強制移住は、ドイツ系ユダヤ人の肉体的殲滅政策であると決めつけている。ユダヤ人はいつでもどこでも「我々は迫害を受けている」といきなり言ったり書いたりしているのと全く同じである。

 ナチスの強制収容所は、そもそも政治犯のためのものだったのであるが、民族虐殺に使われる可能性のある制度と見なした。そして、この「可能性」がいつの間にか「断言」に変わっていくのである。1936年の段階では、ダッハウ収容所(バイエルン州・ミュンヘンの北西15キロ)に拘留されていた100人のユダヤ人に言及しているが、この100人のうち60人は1933年からダッハウに拘留されていた。

 更には、ドイツ系ユダヤ人共産主義者のハンス・バイムラーが書いた煽情的な本『ヒットラーの地獄:猟犬の手に落ちた4週間』、副題「ダッハウのナチス殺人キャンプ」がある。これはヒットラーが政権を握った1933年(昭和8年)に、早くもニューヨークで出版されている。

 バイムラーは、マルキストとの関与の容疑で政治犯としてダッハウに拘留されたのであるが、関与を自ら認めたので、僅か一か月で釈放されていた。その彼が、「ダッハウは死のキャンプだった」との本を書いている。後の東ドイツ政権は、共産主義に奉仕した者を表彰する「ハンス・バイムラー賞」を設けている。嘘でも何でも、とにかく、ドイツのユダヤ人虐殺を書けば、賞賛されるシステムがここに作られたのであった。そこには、ユダヤ人の隠された政策が存在したことが良く分かる。