S先生は気の達人です。
多くの難病を治した実績のある方です。
またお料理もとてもお上手で、自らつくり、患者さんに
ふるまわれました。
病院とか、薬とか、カウンセリングとかのすべてを信頼することが
できないまま、最後の癒しの方法にかけてみようと思ったのです。
娘は先生に会ったとたん、とても嬉しそうな顔をしました。
あとで聞きますと、なんだかなつかしい気がしますと言いました。
先生の助言もあって、不明なままに、薬を減らすことにしました。
慎重に行い、症状がもとに戻りそうになるとまた量を戻すことにしました。
気の治療や、心のこもった食事の成果があってか少しずつ
良くなっていきました。
また薬の量も、0を目指して急ピッチに減らしていきました。
リバウンドでしょうか。
幻聴や幻視を訴えるようになりました。
それでも必死の家族みんなでの見守りで徐々に快復していくかに
見えました。
そんな時に、同じようにS先生の治療を受けていた家内が
治療院に通う道で追突事故を起こします。
幸い相手の方や家内になにも怪我はなかったのですが、
それを機に、家内は運転ができなくなりました。
なるべく心や体を尽くして娘の快復の助けになりたいと
誰もが思っていました。
激しい日をなんどもくぐりぬけ、その年のゴールデンウイークも
なんとかみんなで過ごしました。
病変を気にかけながらも快復という希望を見て
毎日を過ごすことができました。
しかしながら3ヶ月が経過した6月のはじめに強烈な
リバウンドが来て始終だれかがそばにいなくてはならない
大変に危険な状態になってきました。
そして一週間が過ぎ、忘れられない2006年6月6日がきました。
この国には薬を絶つための施設はなく、アルコール中毒や
薬物依存症の治療施設だけはあります。
精神治療の薬を絶つ施設などあるはずもありません。
自宅で家族の力を結集して、そのような施設の役割を
していくしかありませんでした。
娘の見守りを、時間を決めて家族が分担をしていく。
そんな一週間だったのですが、その日の直前には
女性の力では止めようがないほど、飛び降り願望が強く、
息子と私とで静止し、女性軍は見守る役目でした。
その願望は波のように激しく来ます。
大きな波が来ると、少し小康状態になり眠りにおちたり、
落ち着いて少しお話できたりもします。
家族の皆がいる居間で見守りました。
幾度かの大波を息子と一緒に抑えていました。
少し小康状態になったとき娘はつぶやきました。
「お父さん、私あの二階の屋根に落ちた自分が見えるの。」と
私にいいました。
「そんなことはないよ、心配しなくていいよ。」となだめ
いつしか息子と私に挟まれて娘と一緒に眠ってしまいました。
わずかのほんのわずかの時間だったと思います。
はっと気づいた時に、となりに娘がいません。
そして居間には見守っていたはずの家族も誰一人いません。
ほんの わずかな隙間のような時間に、娘は7階のベランダの
手すりを飛び越え2階の美容院のコンクリートの上に
飛び降りたのでした。
娘の言葉通りになったのでした。