2361「私の天命」 2021.6.13  自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月07日の記事を紹介します。

「私の天命」

今日は、自分の天命の見つけ方について書きたいと思います。

小林正観さんは著書の中でこう仰っています。

五戒を守り、頼まれごとをこなしていくうちにある方向で自分が使われていることに気がつくんですが、それが使命、天命というものです。

天命、使命に出会ってからの人生というのは、すごく、楽しいものですから、なるべく早くそこのところに到達することをお勧めします。

頼まれごとをニコニコと笑顔でこなしていく人生が一番早く使命、天命を知る方法です。

また、頼まれごとは、3つに1つは有料になるようです。

頼まれごとを淡々と受け入れることで、お金にも困らずに、天命、使命に出会って楽しい人生を過ごせるようです。

その具体例をご紹介します。「人の心に灯をともすHP」より抜粋

<引用開始>

・不平不満、

・愚痴、泣き言、

・悪口、文句、

・辛い、悲しい、

・嫌だ、嫌いだ、

・疲れた

という言葉を言わなくなって、三ヵ月から半年位経つと、突然に頼まれごとが始まります。

頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。「適当に」というのは、『適度に』ということです。

「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で

「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。

頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、 ある方向性でこき使われていることに気がつきます。

「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。それを「立命」の瞬間といいます。

自分の好きなこと、嫌いなことをより分けていると、なかなか自分の所に面白いことは起こらないようなのです。

宇宙の仕組みに、「自我+お任(まか)せ=百」という方程式があります。

自我が三十パーセントだと、お任せが七十パーセント。

自我がゼロパーセントだと、お任せが百パーセントという仕組みになっています。

私は、頼まれごとを、好き嫌いで選ぶのではなく、三つ目の選択をしています。

それは、「ただ、淡々と生きる」という生き方です。

頼まれごとを、自分の評価、論評を入れずに淡々とこなしていく。

あれがしたい、これがしたい、という自我や目標があったら、そこにたどり着くために、努力しなくてはいけません。また、努力しても叶わないこともあるでしょう。

ただ、頼まれごとをして淡々と生きていくと、何を頼まれるかわかりません。

自分が想像しなかった方向へどんどん流れていくこともあり、考えていたときよりも、はるかに楽しいことが起こっていくようなのです。

頼まれごとがあるということ自体が、人間としてとても幸せなことなのです。

「ヒトは一人で生きているとヒト。人の間で生きることが人間」

死ぬまでに人間として何をするのか、何のためにこの世に生を受けたのか?

それは、「いかに人の間で喜ばれる存在だったか」を残すことなのでしょう。

業績や実績を残すことではありません。

自分の身の回りの人(家族・友人・知人)から、「あなたに○○をしてもらって良かった」と言ってもらえること。

さらに向上すると、「あなたがそばにいてくれて良かった」というレベルになります。

そばにいるだけで、その人が自分を明るくして、心を温めてくれることを「仁」と呼びます。

「人が二人(あなたのそばにいつもいます)」という意味です。

「人に対して何かをする」という段階からさらにもう一歩踏み出し、相手が、「あなたのそばにいる、ととても幸せ」と言ってくれるようになったら「仁」の領域に入ります。

本当に喜ばれる存在という人は、何かをしてあげて喜ばれるレベルで留まるのではなく、

その人がそこに居るだけでホッと和むような人になることらしいのです。

頼まごとをすべて引き受けなくてはいけないのかと聞かれることがありますので、断ってもいい頼まれごとを書いておきます。

「お金を貸してほしい」というときは、自分ではなくお金に用事があるということですから、

断っても構いません。

ただし、次の条件によって変わってきます。お金に余裕があるときに、借金の頼まれごとを断ったとします。貸したほうが、自己嫌悪が少ないのなら貸してあげる。自分の生活を犠牲にしてまで貸すと、自己嫌悪が大きくなります。

「私」のレベルが変わると、自己嫌悪のレベルも変わります。

また、百キログラムの荷物を持ってほしいなど、物理的に無理なものや、単なる数合わせの場合、先約がある場合も断っても構いません。

PTAなど、今までやってことのないような頼まれごとがあります。

その場合はこのように判断するといいでしょう。

今までに経験したことのないものは、引き受けた結果としての自己嫌悪を味わったことがないので自己嫌悪は「ゼロパーセント」になります。引き受けないときの自己嫌悪は「五パーセントくらい」あるかもしれないので、このような場合は引き受けるほうを選ぶということです。

これが一期目になり、二期目を引き受けるときには、改めて自己嫌悪が少ないほうを選ぶといいでしょう。

基本的に、自分の中で自己嫌悪を量ると答えが出てきます。

まだやったことがないのであれば、引き受けたほうが良いかもしれません。

自分ではできないと勝手に判断して断ることを「傲慢(ごうまん)」と言います。

基本的に、できない頼まれごとは来ません。

「一度断ってしまうと、三年間頼まれごとが来なくなる」という宇宙法則もありますので、

自分の能力を自分で量らないほうがいいようです。

<引用終了>

正観さんは、ブッダの悟った内容を、誰でも解るように、平易な言葉や、具体的な例を示して教えてくれています。

本当に私達の人生と言うのは、

・気張らずとも、

・努力しなくとも、

・宇宙の采配に任せ、

・流れに乗っていれば、

どんどんと、生まれて来た目的を達成できるように出来ているようです。

このことを知ってから、私は来た頼み事や、仕事はほとんど断らなくなりました。

今は解らなくとも、いつかそれが必要だったことが解るからです。

私達、それぞれの内に居らっしゃる神様はムダな出来事など一つも起こしませんし、 その出来事も一番良いタイミングで起こして下さっています。必要なことが、ベストなタイミングでもたらされます。それは、神様が私達を成長させようとして下さっているからです。

貴方は、もう天命を見つけましたか?

それとも、まだ見ぬ どこか遠くの「凄い使命」を待ち焦がれ、日々を過ごされますか?