「モヘンジョ・ダロ」 奥の院通信 R3 6/27

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モヘンジョ・ダロは核攻撃を受け廃墟と化した町である。そこで発掘される人骨は異常なほど高温加熱されている。場所はインダス川流域で、火山の爆発で焼けたものではない。また、壺などの密閉されたものの中で焼かれたものでもなく、広大な平地で一瞬のうちに焼かれている。もちろん、火葬されたものでもない。核兵器による攻撃がこれらの人を殺している。そして、残留放射能がこの場所に人を近づけない。建物を構成する煉瓦は、高温加熱され、一部は溶解し互いにくっついている。

 このモヘンジョ・ダロの近くには、現地の人が「ガラスになった町」という変わった場所がある。「あの場所はタブーです。誰一人あそこには行きません。遊牧民でさえ、あの「ガラスになった町」にはテントを張ることはありません。先祖からの言い伝えなのです」という。

 この場所は発掘対象となっている遺跡の周辺部であった。調査に行った人物は「溶鉱炉の廃棄物のようだ」と呟いたという。

 一部大きく凹んだ場所があり、黒い石が敷き詰められている。そこの石には光沢があり、緑色で非常に固いがその割には軽い。そこにある全ての鉱物は、超高温によって溶かされ、何とも見分けがつかず、熱のためにくっついた煉瓦の破片などががあった。この緑色の、お互いにくっついた石が、絨毯を敷き詰めたように広がっている。

 モヘンジョ・ダロ遺跡はまだ4分の1程度しか発掘されていない。しかも、その場所は発掘が行われている地域から少々外れている。大きな凹みがあり、その凹み全体が超高温で焼かれ、石はくっついて緑の硝子状になっている。緑がかった石で敷き詰められた、緑の絨毯ようの状態である。だから、現地の人はここを「ガラスになった町」と表現し、誰も立ち入らないし、近づかない。この凹みは当に爆心地である。残留放射能が強く、長年人を近づけないのである。

 こうした「ガラスになった町」はインドアジア大陸には他にも沢山ある。あるアメリカ人ジャーナリストはその著書に書いている。

 「ガンジス川とラジャマハール山脈との間に、焼け焦げた無数の遺跡があり、これらは普通の火事で焼けたものではないことが明らかで、壁という壁は高熱で溶解しガラス状となり、崩れ落ちずに固まっている。これは原子エネルギーの放射熱としか考えられない」と。

 この辺りは『マハバーラタ』の描いた戦場だったとされる地域である。また、デカン高原は『ラーマーヤナ』のラーマ王の活躍していた地域でもある。

 モヘンジョ・ダロの西のアラビア海の沿岸には、奇妙な遺跡が沢山ある。石積みの城壁や頑丈な門など、様式はインダス文明の特徴を備えている。その呼び名も、ソトカ・コー(焼けた山)という。

 広島は原爆投下された時、この地域は10年は草木も生えないと言われたが、幸いすぐに植物が育った。自然治癒力が強いのであろう。しかも、多くの地域が核攻撃を受けたわけではなかったので、人類が滅亡するには至らなかった。しかし、この当時は至るところで核攻撃が行われ、遂に人類が滅んだのであった。しかも、この歴史を検証する作業は全く行われていないに等しい。

 更に、このモヘンジョ・ダロやこの周辺のインド以外にも、世界中で核攻撃が行われ、その痕跡を残す遺跡がある。たまたま、インドの場合、『ラーマーヤナ』『マハバーラタ』『リグ・ヴェーダ』といった書が残されているので、歴史を知ることが出来る。しかし、他の場所のものは、それを物語る書は、焚書に遭ったのか、残されていない。

 現在、核大国の核爆弾の数は地球を10回滅ぼすことが出来るという。しかも、それは全て奥の院が握って管理している。彼らに慈悲の心はない。それは広島・長崎で実証された。これらの核の削減・全面廃棄の気運はない。使用を抑止する世論もない。なぜか、それは奥の院の支配するメディアが取り上げないからである。学者も取り上げない。

 奥の院はこれらの核をこれからどう処理するのか、人類の再滅亡は彼らの意思にかかっていることだけは間違いない。彼らは現在の人口およそ80億人を5億か10億まで減らす意向であると言う。自分たちだけは生き残れるように、盛んに核シェルターを建設中である。

 「ユダヤ人だけが人間で、他の民族はゴイム(豚・獣)」「ユダヤ民族は神に選ばれた民」というユダヤ人の考えと、4000年前アブラハムがヒッタイト人から核シェルター用の洞窟を手に入れたこととが妙に気になる。間もなく、地球上の人類は再び滅亡するのであろうか。ユダヤ人だけが生き残り、ゴイムはほとんど殺害され、たまたま生き残ったものは、奴隷としての一生を送ることになるのであろうか。