2374「信じて祈ること」2021.6.26 自分で自分を自分するから

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月21日の記事を紹介します。

「信じて祈ること」

今日は夏至、1年で一番日の長い日。陽の日です。

今日の早朝の神の山にある天空農園です。

太陽がものすごく大きく、神秘的です。まさに神の山の畑です。
ここは竹之高地不動社の裏手の山のてっぺん。

今日の夏至の日、新嘗祭(にいなめさい)ではありませんが、神々の恵みに感謝して、お酒や塩、お米、水、果物などをお供えしてきました。

山の神、大山祇命(おおやまつみのみこと)、そしてお不動様に感謝の気持ちを伝えてきました。ご寄付くださった皆様に感謝申し上げます。

さて今日は、斎藤一人さんの次の言葉をご紹介します。

<引用開始>

もし身近な人が苦しんでいるとしても過剰に心配しなくて大丈夫

それよりも信じてあげること

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と祈ってあげると良いですね。

祈りっていうのは愛だから

<引用終了>

私たちは誰もが、神様の分け御霊を頂いた生命体です。

全ての生命体には神様の与えてくださった役割として、

・他の役に立つこと

・他と調和して

・宇宙の生成発展に寄与して、それを維持すること

と言う役割があります。

その大きな役割の中で生命の進化の過程で、今人間として生まれて来て

動植物含め、全生命体の調和の調整という役割が与えられています。

そして自らの魂も進化させるためにこの3次元地球に肉体を頂いて、今生きています。

その目的を果たすために、いろいろな舞台が用意されています。

それは、一人一人全部違います。交わる部分もあります。

深く交わる部分は、家族や恋人、友人などの役回りかもしれません。

ですが、私たちは、他の誰かの人生に決して介入することはできません。

例え親子、家族であっても・・

人それぞれの魂の目的が違いますし、その方法論も違います。

「良かれ」と思っても、決して自分の思い通りに人を動かすことはできません。

でも心配することはありません。

全ての人は、それぞれが、神様と約束し、この地上に降りて来ました。

私たちがそうであるように、その人も、常に神様に守られています。

人間の情の部分からすれば、親なんだから・・・家族なんだから・・・

と、どうしても、自分の価値観で口酸っぱくとも、アドバイスしたくなりますし、

思いが伝わらなければ、怒ったりもしたくなります。

ましては、生死が関わるとなれば、なおさらです。

ですが、たとえ家族であろうと、その魂の目的や、魂の欲求を無理やり変えることはできません。

別個の魂だからです。

彼らは彼らなりに、今回の人間の人生をかけて、、この方法ではうまくいかない。

そんな学びを一所懸命、苦しみ、悲しみながら命がけで学んでいる最中かもしれません。

神さまの目から見たら、肉体の生死はあまり関係ないようです。

永遠の魂の方を見ているからです。

必要があれば、今回の人生の教訓を直ぐに生まれ変わって、次の人生のステップに生かしていくことでしょう。

その時は、もう、親子関係などなく赤の他人としての人生を歩むかもしれません。

先ほどご紹介した一人さんの言葉には、このような意味があります。

感情は、生きて肉体を持つ間にしか生まれません。

私達今生きている人間にとっては少し薄情(情が足りない)に思えるかもしれませんが、

きっと、一人さんの仰っていることは真実だと思います。

情の目で見れば「かわいそう」な出来事かもしれませんが

彼らの魂は、その過程を楽しんでいるかもしれません。

何者も、どんなことをしても魂に傷をつけることはできないのですから。

一人さんの言うようにそれよりも信じてあげること

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と祈ってあげると

きっとこちらの方が魂的には本質的で良いことに思います。

彼らが計画してきた、この地上での苦しい、悲しい経験が、その目的を達成することで役に立つのであれば、周りの親しい人々は、信じて祈ってあげる事

彼らの心願が成就することを祈ってあげることが本当の愛かもしれません。

晴れて彼らの心願が成就した時 その魂の目的は達成されたのですから、その手段だった

彼らの悲しみ、苦しみも、記憶の遥か彼方に消えてなくなってしまうことでしょう。

その時こそ、生まれて来た時に持っていた本来の魂の輝き、神々の光が現れてくる時です。