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奇妙な戦争のいち局面である「沼の掃除」も少しずつは進んでいるようである。
先月6月にキューバのグアンタナモ収容所において、元アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンの犯罪を裁く軍事裁判が行われた。
ところが、6月15日、このビルの裁判が思わぬ中断をした。ビル被告が入廷してきた時、アシュリー・レッディング大尉が「ようやくお目にかかれて嬉しいですわ,ミスタープレジデント」と挨拶した。これに対し、ビル被告は得意げに「みんな、私が好きなのさ」と応じた。
検事役のハンニックは、大尉に「なぜ民間人に対するような挨拶をして法廷規則を破ったのか」と問いただした。その上で、ハンニック検事は「ビル被告を独房に戻せ」と命令し、大尉だけを残し、他の全員の退室を命じた。大尉を問い質すと、「軍隊に入る前からクリントンが好きだった」と白状する。軍事裁判の証拠調べなどを行う志願兵募集の際に、偏見・偏向などがないかを厳重に審査されるが、大尉は質問事項に対する回答を記入する際に、嘘をついたと告白したのであった。その上で、彼女は「私はフェアに仕事をすることを誓います」という。
ハンニック検事は、「君は陸軍とこの法廷への宣誓を裏切った。よって君を罷免する、処罰されないことに感謝したまえ」といって、クリントン裁判は数日延期とし、メンバーの交代も厳命した。 ここでビル・クリントンの軍事裁判は中断され延期となった。いささかなりとも、裁判に弛みは許されないのであろう。軍事裁判であるから、検事役も裁判官も全て軍人である。
4日後の6月19日、 改めてビル・クリントン裁判の第一日目が始まった。
陽気で威張った態度のクリントンは、彼が選任した弁護人デイヴィッド・E・ケンドール弁護士を従えていた。ケンドールがかつて大統領弾劾裁判で使われた経歴を持つ。
裁判開始と共に、ケンドール弁護士はハンニック海軍中将(検事役)に対し、クリントンの犯罪容疑である殺人、未成年に対する性犯罪、反逆罪、政府財産の窃盗罪の全てを取り下げるよう要求した。これらの罪科は、既に死刑執行されたヒラリー(此の時点ではヒラリーの死刑は執行済み)のもので、ビルはこれら事件の周辺的な関与をしたに過ぎない。どうぞ間違いなきようにと申し立てた。ここで「みんなヒラリーがやったんだ」とビルは発言する。
しかし、ハンニック検事は、ビルが自分の行為の責任を否認したことに、好意を持てなかった。
それは兎も角、彼は言う。ピーター・シュワイツァー著の「クリントンキャッシュ」から引用して、「このカップルは、一緒に盗み、一緒に同じことをしていたのだ。一緒に人殺しをし、同じことを続けていたのではないか。殺人罪には限度がないのだよ。特に貴方にはね、拘留者クリントン」と。
ここでケンドール弁護士は遮って、「私のクライアント(クリントン)は誰も殺してはいない」といった。この発言で、ハンニック検事は、ビルの通話記録を裁判官に示すことになった。それは、1993年のビルと、当時の司法長官ジャネット・リノ、ATF(アルコール・煙草・火器局)長官デイヴィッド・チップマン、そして前FBI長官ウィリアム・セッションズとの間の会話だった。
通話は、ブランチ・ダヴィディアン事件(テキサス州で起きた集団自殺事件)に関係するものだった。これは、ビルが彼らをテロリスト団体と認定し、リーダーのコレシュだけでなく、その成員の女性・子供たちまでを、一軒の建物に押し込めて、全員焼き殺した事件だった。
ビルは、通話相手の人々に,どう処理しても良いと白紙委任状を渡し、それらの不満分子を殲滅することを促したのだった。「何が起きようと私の知ったことではない。私に投票しない連中だ、死んでも知ったことではない。以後、私にこんなことを持ち込むな。早いうち、すぐに芽を摘め。」
そしてFBIとATFはダヴィディアン76支部に火を放ち、コレシュ以下25人の子供、それに妊婦2人を灰にした。ビルは電話でその報告を受け、「それは良かった」とリノを祝した。
ハンニックは、その録音を、ビルとケンドール弁護士に数回聞かせた。「これはヒラリーではない。全て貴方の事件だよ。クリントン、貴方がこれら大勢の人たちの死を命じたのだ。」といった。
これに対し、ケンドール弁護士は反論した。「そのテープは眞正であるかどうか確認する必要がある」と。
ハンニックは、「貴方は民間の法律家だ。しかし、ここは軍が所轄する軍事法廷で、反乱法で裁く場なのだよ。」
ケンドール弁護士は少々声をやわらげ、72時間の猶予を頂き、その時間内にテープの真正性を確認させて欲しいと申し立てた。
ハンニックは、「宜しい。但し、法廷はそれ以上の遅滞は許さない」とした上で、休廷を命じた。
(長くなるので、以下明日の通信に譲る,そして資料は読者の方から提供賜った、感謝です)