「サイパン島」 奥之院通信 R3 8/25 から

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もう30年ほど前の話である。ある元海軍将校が海軍陸戦隊としてサイパン島に駐留しておられたことがあった。そして戦後数十年が経過し、その将校はサイパンに観光旅行をされた。サイパンが観光地として脚光を浴びていた時である。

 将校は戦前サイパンにおられたので、あるサイパン現地の知り合いを訪ねられ、旧交を温められた。そこでそのサイパンの知人がしみじみ語られた話がサイパンの本当の歴史にだった。その長老は、別に政治の話をされるわけではなかった。単なる思い出話であった。

 その昔、最初のこのサイパンにやって来たのはスペイン人だった。その時は、この島にやたら泥棒が増えた。それまでは島には泥棒などいなかったのに、島は変わってしまった。
 スペインはマリアナ諸島を発見し、1565年この地域の領有を宣言し(欧州諸国に対して)、多くのスペイン人が島にやって来た。そして1898年アメリカとの米西戦争に敗れ、この島をドイツに売却した。スペインはこの島を300年以上にわたって統治したのである。

 その次に島にやって来たのはドイツ人だった。すると、若者たちの間に性病が蔓延して困ったものだった。それまで島には性病などなかった。島は変わってしまった。ドイツはこの時から第一次世界大戦が終わるまでこの島を統治した。およそ20年ほどの間であった。

 その次にやって来たのは、日本人だった。すると島の青年はせっせと働き出した。畑にサトウキビを植えて、それを育てて出荷するようになった。いくら作っても全て日本が買ってくれるので、島の青年はせっせとサトウキビを栽培し、結構な金持ちになった。
 日本は第一次世界大戦後、国際連盟の委任統治国としてサイパンを統治した。第二次世界大戦終結までのおよそ25年間であった。その間、この島は砂糖の日本への供給地となったのである。
 準国策会社の「南洋興発株式会社」が設立され、アジア最大の製糖産地として発展した。日本から、朝鮮から、台湾(当時は全て日本領)から多くの人がこのサイパン島に移住したのであった。

 その後、日本人が去ってアメリカ人がやって来た。すると、島の若者は働かなくなった。ぶらぶら遊んで暮らしている。米軍が土地を借り上げて軍の施設や住宅用土地にしたので、地代収入が入るようになったからである。アメリカ合衆国は先の大戦後、ここに基地を設置し今に至っている。

 この島の長老は、たまたまスペイン時代、ドイツ時代、日本時代、そしてアメリカ時代と生き、島の変遷を観察し、今の思い出話となったのである。
 先の大戦末期にこのサイパン島にいた日本兵は玉砕し、一般の日本人はアメリカ軍の大虐殺に遭い、追い詰められた日本人は断崖の上から身を投げた。「バンザイクリフ」としてその悲劇は今も語られている。

 しかし、先の長老の話は、我々日本人としては嬉しくなる話で、先祖に感謝するしかない。この長老は、別にその日本人の元海軍将校におもねって話しているわけでない。ただ、子供の時からこの島を見てきての素朴な感想である。統治者によって、その地域の社会は激変するものであることを、体験を持って語っているに過ぎないだけに、極めてリアルである。

 こう時代の変遷を見ていると、やはり日本時代が一番よかったかのかも知れない。少なくとも、この長老の世代はそう思ってくれているようである。最後の日本人の蒙った悲劇も、よく知っているだけに、彼らの日本人に対する思いには強烈なものがあるようだ。
 「日本はアジアを侵略した」と語られるが、そこには真実を見ようとする姿勢は見られない。決して何百年も前の話などではないので、少しでも真実を知ろうと思えば、すぐそこに見えていることなのである。近隣のパラオでも同じだった。