2440「最後のプレゼント」2021.8.30 自分で自分を自分するから 

https://tenmei999.blogspot.com/2021/08/24402021830.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月23日「最後のプレゼント」と

2021年08月24日「トントンという音」の2つの記事を紹介します。

「最後のプレゼント」

私たち親は自分に子供が生まれた時、この子がどうか幸せに生きられますように

そう願いました。

そしてきっと、自分が先に天に帰るときも、残されたこの子が、幸せに生きられますように

そう願うのだと思います。

子供が悲しみの涙を流していれば、自分の命に代えても守りたいと願うかもしれません。

誰でも、何時かは天に帰るわけですが、今日は、沢山の読者の方々のためにも、

子供にとって、親の死の持つ意味を、書いてみたいと思います。

どうか、残されたご家族が、最後の親の愛を知り明るく健やかに暮らしていけますように。

そうして暮らしていくことこそ、周りの人々と仲良く笑顔で暮らしていくことこそ、

私たちを愛し、慈しんでくれた、親たちの一番の願いだからです。

皆さんは、親が子供たちに最後に残してくださる、最大のプレゼントは何だと思われますか?家や車や、莫大な財産ではありません。

それは、死です。「人は必ず死ぬ」このことは、誰でも知っている、当たり前のことです。

しかしそれは、現実に経験してみないうちは、にわか知識にすぎません。

親が死ぬときに、人は初めて本当に「死ぬのはどういうことか」

切実な現実を痛烈に知って、私たちは「死」を学ぶことができます。

・人生は本当に有限なものだった。

・自分もいつかは死んでいく。

・この限られた人生を、何に使えば良いのか?

・何をしたら死に臨んでも満足がいくのか?

鉄拳「振り子」 父と母の人生の物語です。 是非ご覧ください!!

目の前の親の死を、経験させていただくことで、様々な思いが、頭を巡り、

深く、自分自身のこととして考えることができます。

また親の死ではなくとも、動物が好きなご家庭では・・・(参考元)

・子供が産まれたら、一匹の犬を飼おう。

・子供は犬と共に大きくなり、いろんな思い出を作るだろう。

・家族の一員であるペットは、子供たちに大切なことを沢山教えてくれる。

・彼らが少年少女になった時、犬は歳を重ね、やがてこの世を去っていく。

・その死をもって、子供たちに最後の教えを伝えるだろう。

・命を終えてゆくことで、共に生きて過ごした日々がかけがえのないものになる。

・終わりを知ることで、輝き出す命。

・ペットの死は、大切なペットからの、最後にして最大の、子供たちへのプレゼントである。

生前、死後を通じ、何百万、何千万人もの人々の魂を救った親鸞聖人は4歳の時にお父さんを亡くされ、8歳の時にお母さんを亡くされています。聖人は「波瀾万丈」という言葉がふさわしい一生を送られた方ですが、まさに人生のスタートから激しい波が、聖人に襲いかかりました。

松若丸(のちの親鸞聖人)は、ついさっきまで温かい手で自分の頬をなで、優しい目で語りかけてくれていたお母さんが、たちまち目が閉じ、顔から血の気が引き、手は冷たくなり、帰らぬ人となっていった現実になんてあっけなく「死」はやってくるんだろう、と世の無常に愕然とされるのでした。

その時、松若丸は8歳ですから

・お父さん、どこ行ったんだろう。

・お母さん、どこへ行ったんだろう。

・お父さんに会いたい。

・お母さんに会いたい

とどんなに思われたでしょうか。

松若丸がさらに考え込まれたのは、自身の行く末でした。お父さんが死に、お母さんが死んだ。次に死ぬのは自分の番だ。いったい自分は死んだらどこへ行くんだろう。

真剣に我が身の死んだ先を考え込まれ、真っ暗な未来に驚かれるのでした。

世の中には

・父親が死んでも、

・母親が死んでも、

・夫が死んで見せても、

・妻が死んで見せても、

・子供が先に死んで見せても、

すべて他人事と受け流し、自分はまだまだ死なないと頑として思い込み、自分自身の確実な行く末に、目を向け、深く考える人は少ないものです。ですが、松若丸は違いました。

両親の死を縁とし、我が身の生死の一大事に驚き、なんとしてもこの大問題を解決したいと、

比叡山の慈鎮和尚の門を叩かれたのです。この時、のちの親鸞聖人は、わずか 9歳でした。

私たちは、このように死から学ぶことが、大変多くあります。

時には、その後の人生を大きく転換させてしまう力さえあります。

親が子供たちに最後に残してくださる贈り物。決して無駄にはできないものですね。

皆さんには、お子様はいらっしゃいますか?

いない方は、ご両親はご健在ですか?

私たち親は自分に子供が生まれた時、この子がどうか幸せに生きられますようにそう願いました。そしてきっと、自分が天に帰るときも、残されたこの子が、幸せに生きられますようにそう願うのだと思います。親と子、深い愛の絆で結ばれています。

私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきました。 「家族になろうね」って。

人は必ず死を迎えます。親の勝手な希望、価値観、プライド、世間体で、子供たちが、可憐な「スミレの花」を咲かせようと、この世に生まれて来たのに、華やかな「バラの花」になれと、無理強いはしていませんか?

私たちが嫌いな、あの人も、深く深く愛してくださった親御さんがいらっしゃいます。

愛する子供もいらっしゃるかもしれません。

世界中の人たちが、優しさと愛で包まれますように・・

悲しみの涙を流す人が一人でも減りますように。

「トントンという音」

今日は医師である鎌田實さんのお話をご紹介します。

何気ない平凡な生活の中にある、美しい心に関するお話です。

私たちの心の世界は

・見える世界(物質的な、目の前の世界)

・見えない世界(冥界、神々の世界)

をも包括するほど重要で、広大なものです。

心を清浄(ピュア)にすることで、私たちは真の幸せを手に入れ、神々と直接的に繋がることができることでしょう。わざわざ、パワースポットに出かけたりお金を払って、誰かに頼る必要が無くなります。このブログでは、いつも「心の世界」のことを中心に書いています。

幸せになるための王道だからです。

「心の世界」のお話は大変地味です。

・お互い様、おかげさまの心で生き

・他人に優しく、寛容に

・感謝の心を持って生きよう

など、平凡なものかもしれません。

ですが、宇宙神と同じ立場に立ったブッダも、イエスも同じことを、おっしゃっていたのではないでしょうか?

どうして、このお二人が、同じことをおっしゃったかといえば

心を洗うこと、整えること そのことこそ、見える世界、見えない世界を超えて

神々へと至る道筋だからではないでしょうか。

自らの足で、しっかりと大地に立ち、何者にも、何事にも、依存せず、執着せず、神々へと真っすぐに進む道だからです。

この道は、生も死も時間も空間も超え、真の幸せを分かち合う道だからです。

では鎌田實さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

生きるって大変なこと。これまで、たくさんの生と死に関わって生きてきました。

73歳のおじいちゃんの話をしましょう。

徐々に痩せてきました。背中が張ると言って、外来にやってきました。血液の検査や超音波検査、CTの検査をしました。後腹膜に腫瘍が見つかりました。 すい臓がん。リンパ腺にも転移がありました。ご本人と優しい奥さんと、何度も治療法について話し合いをしました。

東京の息子さんも話し合いに参加しました。

おじいちゃん自身は、「もういいな。手術はしたくない。抗がん剤が少しでも期待できるなら、苦しくない範囲で1回試してもいい」これがおじいちゃんの自己決定でした。

自分の行く道を自分で決めたのです。奥さんも息子さんも賛成しました。

僕自身がこの人の立場だったら、僕もこの選択をしたかなと思いながら、 「全力で支えさせていただきます」と何度もの話し合いをまとめました。

ご本人の希望で緩和ケア病棟に入院しました。

「やるだけのことはやった。もういいな。とにかく苦しいのは嫌だな」緩和ケアが始まりました。痛みが取れると、彼は再びニコニコし始めました。

それでもご飯は食べられません。

「匂いを嗅いだだけで食べられなくなる」

「でもね先生、もう1回ご飯が食べたいな」

横についている奥さんが黙ってうなずきました。

「先生、1回外出させてください。気分を変えてあげたい」

根拠はないけどいいことだと思いました。賛成、賛成と背中を押しました。

おじいちゃんもニコッと笑顔を見せました。

翌日、息子さんは東京の会社を休み、飛んできてくれました。

お昼から半日、家に帰りました。

夕方7時頃、おじいちゃんが病室に戻ってきました。

病室へ伺うと、おじいちゃんはニコニコしていました。

「先生、トントンがよかった」

「トントンって何ですか?」

「家に戻って、いつも自分が座るところに座って、夕陽が落ちるのを見ていました。

先生、夕陽がきれいでね。目を奪われていたんです。この庭も見納めかなと思っていました。

その時です。お勝手からトントンという音が聞こえだしたんです。女房のまな板の音です。

こんな音、何十年も聞き続けていたはずなのに、一度も意識したことがありませんでした。

女房もきっと意識していないんです」

奥さんが言葉を受け取った。

「何も意識していません。でも、この人が家に帰ってきてくれて、私はうれしくて、無意識の中で心が躍っていたんです」

おじいちゃんが続けた。

「まな板のトントンという音を聞きながら、生きてきてよかったと思ったんです。

シューッとご飯ができあがる音も聞こえてきました。匂いも伝わってきたんです。

食べ物が運ばれてきても、その匂いだけで吐き気が出てたべたくなかったのに、音も匂いも心地がいいのです。先生、食べれたよ。 お茶碗に3分の1ぐらいだけど、うまかった。 もう思い残すことはありません」

奥さんと息子さんが下を向いて泣き出しました。このおじいちゃんは間違いなく生きている。 死は近づいているかもしれない。けど、そんなことはどうでもいいんだ。

いま生きているという実感が大事。

<引用終了>

何気ない日々の生活の中にこそ、人の優しさや、思いやりが含まれているのですね。

見える世界、見えない世界 不思議なことは、ワクワク楽しいかもしれません。

ですが、それはまさに孫悟空が、いろんな冒険をし、宇宙の果てまで行ってきたのに、結局は、全てはブッダの手の平の上の出来事であった。 と同じことかもしれません。

地味かもしれませんが、

・他人に優しく、自分にも優しく

・お互い様、おかげ様と謙虚に

・相手を許し、認め、個性を尊重し

・元気の出る言葉、喜ぶ言葉を口にし

・周りの人や出来事に感謝して

日々過ごすことが、神さまに似せて作られた人間にとって、大切なことなのかもしれません。

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