「素晴らしい外交官」 奥之院通信から R3 8/30

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-677.html

日本の外交官堀口九萬一氏は立派だった。彼は越後長岡藩の出身で、父親は彼が3歳の時に戊辰戦争で戦死している。一般には、彼の長男のフランス文学者堀口大學氏の方がよく知られている。

 今から100年以上前の大正2年(1913年)の話である。この時、堀口は臨時代理公使としてメキシコに赴任した。そしてこの時、この赴任先のメキシコで起こった軍事クーデターに遭遇する。

 明治44年(1911年)大統領に就任したフランシスコ・マデロ大統領が、この年2月に暗殺されたのである。そして、この時殺害されたマデロ大統領の未亡人と父母や子供たちが、日本公使館に庇護を求めて逃げ込んできた。しかし、テロリストは彼らを追って日本公使館に乱入しようとした。

 そこで堀口は大使館の入り口に大きな日本国旗・日章旗を敷いた。そして彼は追いかけてきたテロリストたちに向かって、「入るならその日章旗を踏んで入れ、しかし、そうすると日本との戦争になるぞ、その覚悟があるなら入ってこい」と凄んだ。

 テロリストたちは堀口の気合いに押されたのか、話し合った結果退散したという。この時、堀口は日本の武士道を説いて、大統領妻子には危害を加えないことをこのテロリストたち(革命軍)に保証させた。彼は士(さむらい)外交官として称えられたものである。

 その後、堀口はメキシコでも賞賛され、平成27年(2015年)、メキシコ上院議会で、堀口九萬一の記念プレートの除幕式典が行われたが、その記念プレートには「1913年2月の苦難の日々におけるその模範的な生き方とマデロ大統領家族に対する保護に関して、堀口九萬一と偉大な日本国民に捧げる」と書かれていた。

 ところで先日、アフガニスタンの日本大使館は臨時閉鎖となった。タリバンの軍事クーデターで治安が極端に悪化し、危険と言うことで、岡田隆大使は大使館を臨時閉鎖し、トルコの日本大使館内にアフガニスタン臨時大使館を設置し、業務の場所を移動させた。昨日のこの奥の院通信でも書いたが、今回は日本も自衛隊機を出して邦人救助に向かった。しかし、救出を待っていた邦人は一人だけだったという。アフガニスタンの日本大使館は閉鎖され、アフガニスタンの邦人は何も知らされず、何も分からず、カブールの空港に行ってなかったのである。決してアフガニスタンに邦人がいないわけではない。

 つい先の堀口九萬一と今回の岡田隆大使と比べてしまう。冷静に考えれば、当時と今では日本国の覚悟が違う。外務省や外交官は、その国の国民に支えられている。当時も日本の外交官は当時の日本国民に支えられていた。当時の日本国、当時の日本国民あっての堀口だったと考えるべきである。

 しかし、現在は全く環境が異なる。今回は岸防衛大臣の英断で自衛隊機を出したが、これまではとてもこのような決定は下せなかった。自衛隊の海外派遣、海外派兵などとんでもない、というわけである。日本は他国を侵略した悪い国なんだから、外国から攻められたら静かに抵抗せずに、黙って死んでいけと言うのである。したがって、この環境を無視して、堀口と岡田を比較するのは岡田に酷というものであろうか。

 現在の日本国は、自国の防衛はアメリカに任せ、軍事に関しては金縛りの状態にある。日本人のほとんどが自衛を許さない。この問題では国民はアメリカ頼り派と中華人民共和国(中共)頼り派に分かれ、奥の院のいいようにされているというのが現実である。そこを考えないで一外交官の個人に責任を負わせるのは酷というものであろう。

 しかし、それでも今回の岡田大使の大使館臨時閉鎖は、非難を受けるかも知れない。彼が個人として決定したわけではなく、外務省として決定したのであるから、外務省も非難されることになりそうである。あとはこれから後、邦人が殺害されたりといった悲劇の起こらないことを祈るほかない。

 外交官は日本国というものを背負って、外地に赴任していくのが役目というものであるから仕方がない。うしろに背負った国の状況がどうであれ、外に向かっては、一定の威厳を備え、覚悟を決めて立ち向かわざるを得ない。これからアフガニスタンを中心としての有事が起きるかも知れない。何しろ、奥の院は隙あらば戦争を起こしたいのであるから危ない。戦争は自然に起きるものではない、彼らが起こすものである。それはこれまでの歴史が証明している。