「判断はできないのだと知りなさい」 映画 ジェシカを見て

「判断はできないのだと知りなさい」

何か理解が難しいような言葉ですね。

いつもいつも何かを判断して生かされる私たち。
何故判断は出来ないことを知ることが真理だと
いうのでしょうか。

そして湧き上がる感情もまた奥底に眠る
判断がもたらしているのでしょうか。
好きか嫌いかも。

善悪、損得、危険安全などなどが各自が
生かされた環境から獲得した判断する基準ですね。

それから感動も判断して与えられるものではありません。
もちろん感激も霊性の震えも判断して
出来るものでもない。

「イワンのバカ」でのイワンは何かを
判断することが出来ません。
ですからなんでも「ハイ」です。

それからパウロの「全ての人の奴隷になりなさい」も
また同じように判断することはできないことを
教えています。

何故。?

目の前に起きることのすべてを外から来たのか
それとも自らが導いたことなのか、そのことが
どうも分かれ道になる気がします。

何か事が発生します。
するとそれがどんなことでもまず判断します。
判断しなければすべて「ハイ」ですね。
損得も、善悪も、危険安全もその時点では
判断していないのですから、わかりません。
「ハイ」といってやってみなければ。

どんなことが起きても結局は
「受け入れる」しかないのですから。
そしてすべては自分が自分のために目の前に
現したのだと心から思えたら、「ハイ」と
すべてを受け入れるしかできない。

もしその「ハイ」の連続がどんな世界を
もたらすのかは、やってみなければ
分からないのです。

映画の探偵もの「ジェシカ」を見ました。

主婦であり、ガレージセールで見つけた
直感による品物を仕入れ、それを販売する
古物商をなりわいとするジェシカのものがたりです。

発生する難事件の真犯人を見つけ出すことに
天才的な才能でもって解決していきます。

いつも最後の方は真犯人との争いの中で
危ないシーンが訪れます。
生命の危険がせまるのです。

ある日のガレージセールでたった20ドルで購入した箱の中に
後に11万ドルもすると判明する品物を
見つけます。

そのことを知ったのですが、
湧き上がる心のままにそのことを購入元の
おばあちゃんに告げ、品物をお返しします。

おばあちゃんは一人で生きていて貧困のゆえに、
その時には住んでいる家の立ち退きを要求されていました。

「これで家の残ったローンを返せる」と
涙ながらに感謝します。

その映画の主題である真犯人さがしですが、
その後、殺害された女友達の御主人が犯人と
わかります。
そのご主人がお店に来てジェシカを殺害しようと
現れます。ジェシカは店の上に逃れます。

追い詰められた陸屋根の上、いよいよ絶体絶命かと思われた瞬間。
犯人のいた屋上の屋根が崩れ落ち、犯人は店の中へと
落ちていき重症、ジェシカは危機一髪を逃れるのです。

その崩れた屋根は何年も店内に雨漏りがする
場所でした。

漫画のようなお話ですね。

でもジェシカの並外れた直感力。
探偵好き。
迫る生命の危機。
なんでも受け入れどんどん前に進むジェシカに
とても教えられます。
そして「だしたものが返る」真理さえもが
伝わりました。

人生上ではこんなことがなぜ自分に、と
思われるようなつらくて悲しいことの
体験があります。
また栄誉に輝いたり、お人のやさしさに
魂が震えるような感動もあります。

そのすべてのすべては自らが導いたものと
もし考えられたら、私たちに「判断する」ことの
愚かさを確信させることでしょう。

頼まれたら「はい」
誘われてあいていれば「はい」
そして湧き上がる意識に正直に
なんでもすぐ実践していければ
人生はきっと大きく輝くかも知れません。

あなたは無限の無限の能力者なのですから。