再録 随想 伊路波村から102〜人生の岐路

人生の岐路
人は人生のうちに幾度か岐路にたつもの。
その岐路に立った人の結論を、たくさん最近知った。
最後の岐路は、いのちのある、かたちのある死ということ。
親との別れ。
毎日一緒に暮らしたのだったら、なおさらつらいものだろうに。
だれもが体験することだけれど、
わかってはいてもつらいものだ。

なくなる方にとっては岐路じゃない。
一応の終着駅。

人生の岐路はたくさんある。
何を持って決めるのかで、
毎日岐路に立つ人もいるのだろう。
それとも毎瞬が岐路。?(笑)

自分が信じて進んできたことが、
世の中に受け入れられなくなって、
事業としてなりたたなくなる場合は
事業の消滅となる。

大好きなことで、毎日仕事ができて時間を
すごすことができる人は幸せ。

アップルの創始者は、「朝起きてワクワクしなくなったら、
道を変えなさいということ。」と言った。
この時代にあって、ほんとに必要なことを
みんなしているかというと、なんだかゴミみたいなことばかりの
気がして。自分も含めて。
そう、この国は戦後、流通という分野でもって(代理店、特約店
取次店、小売店)利益を分けっこしてきたんだから。
その流通が、インターネットで直接販売によって、
かなり排除される。
そして人口減少で、需要そのものの減少と変化がある。

今日、昔若いころ父の車を専属に営業に来た
日産の営業の方が、会社に久しぶりにみえた。
風貌は見る影もない。
からだをこわさなければいいがーー。って思わず感じてしまった。
生活のために、子供の将来のために、
ほんとにやりたくないことをだまってやり続け、
人生や企業としての勝ち組に入りたい。
こんな思いをだれが非難できようか。
生活の陰がみえるのだ。

誰もが死ぬときわかるのだろうか。
何が正解か。
それとも命への未練がすべてを隠し、
そんなことさえ考えられないのだろうか。
まあいいか。
誰もが一度はいけるのだから。

8月が終わる。
この夏が行く。
そして人生の新しい出発を、多くの方が迎える。
みんな生きているんだ。
思ったようにやればいいよ。
自由より自在。
誰かが言ってた。
いい言葉だな。
正解なんか、わかりません。