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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年09月12日の記事を紹介します。
「お陰さまの心」
今日のテーマはお陰さまの心です。
本当に、本当に大切なことです。
人間の一生の幸、不幸を左右するほどの力があります。
この「お陰さま」の心は、日本人固有の意識のようで、
英語に正しく翻訳することができないのだそうです。
敢えて言うなら
・Luckily 「ラッキーなことに」
・Fortunately 「幸運なことに」
しかないそうです。
でも、私たちがこの言葉を使う時、そんな薄っぺらい意味では使っていません。
もっと、温かで、敬虔な、見えない物、神さま、先祖、周りの方がたに
深い感謝の気持ちを含んでいます。
ここで、上所重助さんの詩をご紹介します。
<引用開始> 引用元
夏が来ると「冬がいい」と言う
冬が来ると「夏がいい」と言う
太ると「痩せたい」と言い
痩せると「太りたい」と言う
忙しいと「暇になりたい」と言い
暇になると「忙しい方がいい」と言う
自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い
自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う
借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる
金を持てば 古びた女房が邪魔になる
所帯を持てば 親さえも邪魔になる
衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満の明け暮れ
隣を見て愚痴ばかり
どうして自分を見つめないのか
静かに考えてみるがよい
一体自分とは何なのか
親のおかげ
先生のおかげ
世間様のおかげの固まりが自分ではないか
つまらぬ自我妄執を捨てて
得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろう
「俺が」、「俺が」を捨てて
「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい
<引用終了>
御祈願をする時、ふと迷うことがあります。
・開運福寿
にしようか?
・厄災難除
にするか?
皆さんなら、どちらにしますか?
・ちょっとぐらい災難に見舞われても、 ツキがどんどん入ってくる人生が良いか?
・大きな幸運が来なくとも、平凡な日々でも平穏無事で暮らせる人生が良いか?
私は、何もなくとも、平穏無事な方を選びました。
病気や事故。
経験したことのある方ならお分かりなように、健康だった時、
何気なく過ごしていた毎日がどれだけ幸せだったか気づく人もいることでしょう。
また、どれだけ私たちの肉体が、沢山の細胞やその他の調和・バランスの上に維持されていたのかに気づく人もいるでしょう。
何かが少し欠けただけで、不調になっただけで、
肉体の健康を維持することができなくなります。
全ての細胞たちが、自分の役割を全うし、調和して働いているが故に、
私たちは、何気ない日々を送ることができるのです。
その調和を維持しているのは誰ですか?
その設計図を書いたのは誰ですか?
ダーウィンですか?
勝手に肉体が動いているから、そうなっているのですか?
違います。
全ては神さまが設計し、そしてそれを一瞬一瞬維持してくださっているからです。
病気で入院などすると、それに気付くことができます。
そして、そこには感謝しかありません。
そういう意味では病気も事故も意味のあることです。
それを、私たちが生まれる前に人生のシナリオの中に組み込んでくるのも分かります。
そういった「お陰さまの力」を何も知らず、気付かず、
おのれ一人の力で生きているという傲慢なまま人生を終えて、何の価値があるでしょうか。
宇宙の仕組み、神さまの存在、お互いさまで生きていることに気づくこと。
助け合うこと、互いを尊重すること、傲慢にならないこと。
全ての全てに 真心をこめて、優しく接すること。
このこと以上に、私たちが生まれてきた意味において、
大切なことは無いのかもしれませんね。