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先週のこと、ハリウッドとSMSはピーター・スコラリの死を悼んだ。彼は40年前の1980年代にトム・ハンクスと共に、トランスジェンダー・コメディの「女装の仲良しこよし」でデビューした。
大手メディアは、スコラリがガンを患って死んだと報じた。もちろん、それは真っ赤な嘘である。
彼は、インド洋の真ん中に浮かぶ、ディエゴ・ガルシア米軍基地に於いて短期間尋問された後、10月26日に処刑された。この種の犯罪処理はグアンタナモで行われるが、今回はカリブ海から遠く離れたインド洋の真ん中にあるディエゴ・ガルシア米軍基地で行われた。
今年7月、スコラリはミラノのマルペンサ空港で、飛行機に搭乗しようとしていたところを、アメリカ空挺旅団の部隊によって逮捕・拘束された。彼は合方のトム・ハンクスがグアンタナモにおいて裁判に掛けられ、最後は処刑された時には釈放されていた。軍当局は、彼を危険人物とは見なしていいなかったのである。はっきりとした証拠を持たなかったからでもある。ところが、ハンクスの死後に入手した映像や写真を再検討した結果、彼らはその見解を変更した。
「スコラリは、ハンクスとのリンクを調べるまで、我々のレーダーに引っ掛からなかった。リンクしてみてもその時点では、スコラリを拘束する理由は見い出せなかった。しかし、我々はハンクスが死んでも調査は止めなかった。ハンクスが死んだ数週間後、彼のコンピュータと電子機器から沢山のものが出てきた。機器から出てきた卑猥な映像と写真を見て、我々がハンクスの野郎を処刑したことは正当だったと分かった。そしてスコラリも一緒に同罪だと決めた。」というのが情報筋の談である。
映像の一つは、犯罪は共犯だったことを示した。ハンクスは赤いガウンとヒールを着用し、スコラリは花模様のアンサンブルを着て、子供を見下ろしていた。子供は金属製の搬送車の台にうつ伏せに縛られていた。二人は鍼灸師のふりをして、鋭い金属の針を子供の背に突き刺し、その都度、子供は母の助けを求めて叫ぶ。・・・子供の泣き声が大きくなるほど、二人は針を深く刺す。・・・スコラリはその後、子供の顔に枕を当て、窒息させた。明らかに殺したのだった(・・・は文字にできないほど残酷)。
それから更に、ハンクスはとどめを刺すために、消音銃を子供の頭部に当てて「命はチョコレート箱ではない、クソ袋なのだ」と叫びながら引き金を引いた。そして子供の脳髄が飛び散って、赤ピンクの霧がレンズ一杯に広がった。この映像の日付は2015年10月31日だった。
「我々がこの気味悪い映像を見たのは、ハンクスの処刑後、ずいぶん時間が経ってからだった。映像を見て直ぐにスコラリを調査した。分かったことは、彼は金魚の糞であって、ディープ・ステートの主役ではなかったということ。この情報を、カルフォニア司法長官のロブ・ボンタと司法長官メリック・ガーランドに伝えた。しかし、ボンタもガーランドもスコラリを訴追することに関心がないことが分かった。それで、軍が行動を起こした」と言うことであった。
2021年10月15日、海兵隊がスコラリをカルフォニアのタウンハウスで拘束し、ラップトップ2台と携帯電話数機を押収した。新規に発見された機器には60万もの児童ポルノの映像が収録されていた。「軍は、これらの映像は、行方不明の児童のもので、そのうちの多くは殺害されたと推測している」という。
翌日、軍はスコラリを、殺人、児童性犯罪、60万枚の児童ポルノ所持で有罪を判決した。数週間から数カ月も裁判と死刑執行を待つ他のディープ・ステート工作員と違い、スコラリはたった3日しか待たなかった。彼は2時間の裁判で、翌日には絞首刑が執行された。
ディープ・ステートでは末端であるが、芸能界で大きな顔となっている彼らは、次々とお縄となり、それなりの処分を受けている。彼らが訴追を受けているのは、ほとんどが児童虐待、虐殺、性犯罪である。しかし、その裏には、これらがディープ・ステートの犯罪で、しかもこれまではディープ・ステートに護られ、罪に問われることがなかったのであった。彼らが全て共通の犯罪を犯し、これまで表には出なかった。