ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 13・14 対象物から刻みこまれた・・

13・対象物から刻みこまれた印象(想い)が、
まるで海の波のように限りなく立ち現れてきます。
それらのすべてがぬぐい去られるのはいつのことでしょうか?

 自己への瞑想が高く高くなるとき、
これらの想いは打ち破られるだろう。

14・いわば始まりのない時の彼方からやってくる、
対象物によって刻みこまれた印象が溶解し、
その後に人が純粋な自己としてとどまるというような
ことがありうるのでしょうか?

 ありうるかありえないかと思いはかることをやめて、
自己への瞑想を持続するべきである。
たとえある人が大いなる罪人であっても、「ああ、私は
罪人だ。どうすれば救われるだろう」と悩んだり泣いたり
するべきではない。
人は「私は罪人だ」という想いを完全に棄てさり、
鋭く自己の瞑想に集中するべきである。
そうすれば確実にうまくゆくだろう。
一つは善く一つは悪いという二つの心はない。
心はただ一つである。
善い悪いの二種類があるのは、刻み込まれた
印象世界でのことである。
心が善いという印象の支配下にあればそれは善と呼ばれ、
悪の印象の支配下にあれば邪悪と見なされる。

 心は、世間の事物や他者に関することがらにさまよい出さぬよう
戒められなければならない。
他者がどのように邪悪であろうとも、彼に対して
憎しみを抱かぬようにしなければならない。
欲望と憎しみは、二つとも避けなければならない。
人が他者に与えるすべては、実は自分自身に与えているのだ。
この真理が理解されるなら、他者に施しをしないでいられようか。
その人自身が立ち現れれば、すべてが立ち現れ、
その人自身が静まればすべては静まる。
謙遜を忘れないならば、それに応じてよい結果を
見るであろう。心が静寂に帰せば、人はどこにでも
住むことができる。