自由な意識

この頃少し散歩をすることがあります。
犬のポムさんがその肉体を脱いでから
毎日外を歩くことが少なくなったからです。

それで普通のように今日はここへ行こうとは
決めないで、散歩に行こうとだけ決める。
まず玄関を出てから気の向くまま、左か右かを
決め、それから信号があればなるべく止まらずに
歩ける方向へと歩いていきます。

ですからどこへ向かうのかは信号が決めるといっても
いいですね。それから時間がくるまでは行く所まで
行き、戻ってきます。
戻る時も家の方向からは遠くならないようにだけ
考えてあとは自然。

なんだかそうしますとまったく疲れないし、
今まで見ていなかった文字や、場所や
木々や花そして鳥や風が自分に溶けてくるような
感じさえします。

あそこまで行こうと決めますと、こころが
「ああ~遠い」「まだここか」とか思ってしまいそうで
判断する材料になってしまう。

こころが自由って素的です。

この前お聞きした京都での「クリスタルボール」とピアノの
演奏も自由でした。
すべて即興なのです。

決めないことのここちよさを共振しました。

そして東京での「風の歌」コンサートも。

合唱が上手とか下手とかの次元でなく、
「風」なのです。
あらかじめの曲は決まっていますが、
メンバー各自のすきな音程で歌う。
全員の声を首の後ろに感じておのおのが声を出していく。
旋律とか音程とか決め事とは無縁です。
心地よさに涙が滲みます。

そして不思議なことに3~4人のメンバーの
音合わせの時の声出し場面ですが、お顔を拝見すると
「みくさのみたからをひらく」のイケ目をして
満面の笑みから始まるのです。

「みくさのみたからをひらく」の中の体を自由に動かす
ことも、決まったことはなく、お一人おひとりが
自由に動かしたいと感じるように動かします。

自由意思は人間に与えられた最大の力。

決められた強制力には真の力はなく、
自由な心が自己の本性と聞きました。

人間の本性は「幸福」だとここでも教えられました。

ありがとうございます。