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80年前の今日、12月8日大日本帝国海軍連合艦隊が、アメリカハワイ準州の真珠湾軍港を奇襲した。これによって、先の大戦「大東亜戦争」が始まった。日本はこの攻撃で真珠湾の軍事施設を破壊したと思った。しかし、肝心の真珠湾にいた空母エンタープライズを逃している(後述)。
しかし実は、アメリカのルーズベルト大統領は、日本の動きを全て知っており、この奇襲を待っていたのであった。日本が発する通信を全て傍受し解読していたからである。むしろ連合艦隊がハワイへ向かってから、「もし相手がこの奇襲を知ったら直ぐ引き返せ」との連絡が入ると、大統領執務室ではパニックに陥ったのであった。襲撃して貰わなければ困るからである。
この日の10日前、11月28日には、真珠湾にいたアメリカ海軍の空母エンタープライズは密かに真珠湾から脱出した。日本の奇襲が近いと分かっていたからである。しかも、この空母脱出を、真珠湾のアメリカ海軍提督のキンメル将軍には何も知らせていなかった。
真珠湾にいたアメリカ海軍の指揮官キンメル提督にとっては真珠湾攻撃は奇襲であった。しかし、アメリカのルーズベルト大統領は日本の動きは全て知っており、むしろこれを待っていたのである。真珠湾が実際に攻撃されたことを知ったルーズベルト大統領は、そこにいたチャーチルと共に、飛び上がって喜んだ。
しかも、日本では、攻撃の直前にワシントンの日本大使から宣戦布告をすることになっていたが、手違いで布告が遅れ、時間的に宣戦布告の通告よりも、真珠湾での攻撃開始の方が、数時間先になってしまった。これで、ルーズベルト大統領は尚更喜んだ。
「日本は通告もなしに、いきなり我が国を軍事攻撃した」とアメリカ国民に言うことを可能にしてしまった。しかも、ハワイの現地では、アメリカ海軍は何も知らされていなかったので、被害は大きくなったのである。
ここで、アメリカを支配している奥の院・ディープステート政府は、日本の動きを暗号解読でよく知っていたが、現地のアメリカ軍は何も知らず、本当に彼らこそ奇襲されたのであった。
ルーズベルト大統領は(第一次世界大戦に続いて)「もう2度とアメリカの若者を戦場に送ることはしない」との選挙公約を掲げて、4選を果たしたのであった。従って、ヨーロッパ戦線でドイツとの戦争が始まっても、アメリカは参戦出来なかった。ところが、彼の選挙公約には、密かに但し書きが付いており、「アメリカが直接攻撃を受けた場合は別である』としてあった。
だから、日本のアメリカに対する軍事攻撃を待っていた。そのために日本軍を挑発し続け、ようやく日本のアメリカに対する軍事攻撃が実現したのであった。これで戦争に参加できると喜んだのである。しかも、時間的に日本の宣戦布告より前に攻撃してきたので、「だまし討ち」との口実まで与えてしまった。
こうして起こした日本との戦争は、アメリカの奥の院というものの存在を証明して見せたのであった。彼らは日本の動きを逐一把握していたにも拘わらず、その情報をアメリカ軍には知らせなかったのである。だからこそ、真珠湾にいた空母エンタープライズは、攻撃直前に真珠湾から脱出させられている。
気の毒だったのは、真珠湾を預かっていたキンメル提督である。奇襲され被害を出したとして、責任を取らされ、「職務怠慢」で有罪とされて軍を追われた。彼は軍法会議開催を求め、自分の名誉回復を図ったが、容れられず、1968年に死去するまで名誉回復はできなかった。しかも、いまだにそれはなされていない。彼の名誉回復は、奥の院の犯罪を明るみに出す事になるので、彼らはキンメル提督の名誉回復はさせないのである。
アメリカ軍は、アメリカ国民を守るための軍ではなく、奥の院の使い走り軍隊であることを、この日本の真珠湾攻撃はよく説明している。これが先の第二次世界大戦開始の真相であった。世界の戦争は悉く奥の院・ディープステートが起こすものである。戦争は起こすものであり、決して自然に起きるものではない。