「あなたは自分が望んでいないものを投影していると
思っているときでも、その理由は、あなたがわずかに
それを望んでいるから。
愛だけを望むとき、あなたはそれ以外になにも見えない」
自分を憤慨させるものが目の前に現れると、
そしてそれが相手のものだと、あなたが知覚する時、
憤慨させるものを、自分の心の中から引き抜けばいい。
なぜなら自分はキリスト意識に憤慨しており、
キリストについて欺かれているからでしょうか。
キリストにはあったことはありませんが。
もしかしてその意識は常に在るのかも。
類友とか共振とかいいますね。
目の前に来ることは共振だとしたら、
自分の心の中にある意識に共振して
それが現実化しているのでしょうか。
だからこそ、その憤慨する意識を引き抜けば
見事に目の前から現実が変化してくるのかも。
自分が引き寄せていたとは信じられないとは
思いたいのですが、どうも真理のようです。
「出した意識が返ってくる」
これが真理の法則ですから。
引っこ抜いて、目の前の方の実相としての
「愛ある想念」だけを見る。
今、目の前の方が分離していることを否定することで、
自分の心が癒されるからでしょうか。
「あなたは自分が望んでいないものを投影していると
思っているときでも、その理由は、あなたがわずかに
それを望んでいるから。
愛だけを望むとき、あなたはそれ以外になにも見えない」