2672「人生の祝福 (ある無名戦士の詩)」2022.4.19 自分で自分を自分するから

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 今回は「立花大敬青空ひろば」の2022年4月12日の記事を紹介します。

「人生の祝福 (ある無名戦士の詩)」

しあわせ通信第二集『神様の壺』(本心庵)のあとがきに、「人生の祝福」という詩を紹介して、この詩の作者や由来についてはまったく分からないので、ご存じの方がいらっしゃればお教え下さいと書きました。

そして、二十数年の時を経て、松永さんから最近お便りが届いて、この詩の由来が判明しました。

松永さんは大学生の時に、私もお世話になった和田重正先生に師事されて、長年坐禅を組んでおられるということです。

松永さんは英語に堪能な方のようで、従来の和訳には、意味が取れない箇所が少なからずあるのですが、その箇所についても適切な解釈をしてくださって、なるほど!と、すこぶる納得できました。

そこで、この詩の新訳を作って下さいとお願いをして出来上がったのが、下に紹介する作品です。この詩についての解説も書いて頂きました、あわせてお読み下さい。

人生の祝福 (ある無名戦士の詩)

手柄をたてようと神さまに強さを求めたのに

へりくだることを学ぶよう弱い体を授かった

I asked God for strength, that I might achieve.

I was made weak, that I might learn humbly how to obey.

どでかい事ができるよう健康を求めたのに

それより良い事ができるよう病弱を授かった

I asked for health, that I might do greater things.

I was given infirmity, that I might do better things.

幸せになれるよう富を求めたのに

賢くなれるよう貧しさを授かった

I asked for riches, that I might be happy.

I was given poverty, that I might be wise.

人からあがめられるよう権力を求めたのに

神さまを求めるよう弱さを授かった

I asked for power, that I might have the praise of men.

I was given weakness, that I might feel the need of God.

人生を楽しもうと全てを求めたのに

全てが楽しめる人生を授かった

I asked for all things, that I might enjoy life.

I was given life, that I might enjoy all things.

求めたものは何ひとつもらえなかったが

自分の(本当の)願いは全て聞き届けられた

恵みにほとんど値しない自分であったのに

口にしなかった祈りに応えていただいた

I got nothing that I asked for – but everything I had hoped for.

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.

わたしは、あらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

I am, among all men, most richly blessed.

人生の祝福(ある無名戦士の詩)の解説

ご縁あってこの詩についてご紹介する機会を得ました松永と申します。よろしくお願い申し上げます。

実は、この詩については、アメリカの南北戦争(1861~1865)の戦場で、南軍兵士の遺骸のポケットに残っていた紙に書かれていたという以外、私はほとんど何も知らないのです。ただ、とても深く良い詩なので、アメリカではよく知られていて、壁に貼っていつでも見られるようにポスターにもなっているようです。

私がこの詩に出会ったのは、去年、ある映画をビデオで観ていた時のことでした。この詩がナレーションで朗読されたのを耳にして、背面から衝撃をくらったような感動を覚えたので、ビデオを何度も止めたり戻したりして言葉を書き取りました。そして、あとで英語の原文を突き止めることも出来ました。

「かたじけなさに涙こぼるる」という表現がありますが、そういう感動を覚えました。自分が心底から求めているもの、願っているものが何であるかを自分でも知らないで、勘違いしてそっぽに幸せを求めていたのを、神様と呼ぶべきかサムシング・グレートというべきか、大いなる存在が本当は何を自分が求めているかをご存じで、それをふんだんに与えてくださっていたのだと気づいた喜び、深い感謝が伝わってきます。

世間の人々は、この兵士の死に同情し可哀想だと思うかも知れません。しかし我々は、この兵士が「人として、自分はこの上なく豊かに恵まれたのだ」と言う言葉を文字どおりに受け止めて構わない、いや受け止めるべきだと思うのです。負け惜しみや強がりではなく、兵士が本当の気持ちを語っていることに留意すべきです。

もうひとつ大事なことがあります。「あらゆる人の中でもっとも豊かに (most richly) 祝福されたのだ」が常識的な最上級でないことです。原田祖岳老師(1871~1961)は、「もし皆様の中で自分の境遇は全く不幸だ、嫌だと思っている人があったら、小衲にご相談ください。必ず我は無上の幸福者だと解釈の出来るようにしてあげます。」と仰っていたようです。比較を超えた世界の話なので、比べたうえでの最上級より、もっとずっと素晴らしいのです。

遺骸のポケットに入っていたことから、この兵士は、自分の詩が人に読まれることや、まして世間に広く知られるようになることなど、全く想定していなかったと思われます。宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」が賢治の没後ポケットから発見されたことにつながるものがあります。だから、実はこの詩にタイトルはないのです。「人生の祝福」とか「ある無名戦士の詩」というのは、他の人が便宜上つけたタイトルです。他方で、自分の戦死を予感していたことは確かで、それゆえ自らの人生がいかに恵まれていたかを綴ったものと思われます。

人間が生まれてくる意義が、命のあり方が如何に素晴らしいものであるかに目覚めることであるとすれば、この兵士は立派に人生の意義を果たして死んだことになります。たとえ、ひとから犬死にと思われようと、神様が託した役割を十分果たして亡くなったと言えるでしょう